後深草天皇の姫(常盤井宮内親王)の建てた市川市奉免町にある安楽寺のゆかり | 西村治彦の日記

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 この日は 市川市奉免町にある「安楽寺」に向かいました。「奉免町」とは その昔、年貢を「奉免された」ところから名付けられました。

何故、年貢を「奉免された」かと、申しますと、鎌倉時代のことであります。

{ある難病を患った娘が、乳母と共に隠れるように家を出て、この地にたどりつき、住み着きました。暫くして 村人は不審に思い役人に知らせ、その後、後深草天皇の姫(常盤井宮内親王)であると判り、鎌倉幕府は村の年貢を奉ずることを免除する代わりに面倒をみるように要請し、村は「奉免」とされました。

いつの日か姫は、若宮中山法華経寺の日蓮の説教に接し、病が治ったあと帰依し、日蓮宗門で最初となる尼寺「奉免山安楽寺」を開山しました。「天皇ゆかり」の寺として安楽寺には、菊の御紋(十六菊)が着いています。}

「いや~!」、市川市のこの奥の「安楽寺の本堂」には「天皇家と同じ菊の紋」が 着いておりました。「何か安楽寺には天皇家と深い言われがあるに違いない!」と私は思いました。大体 勝手に「菊の御紋」など使ってはいけないはずです。関係ないのに「菊の御紋」を使ってはいけないと教わりました。

民法で、「勝手に天皇の陰影」を使用してはいけない」と出ておりました。勝手に使用したら、今度は 刑罰があるはずです。従って、歴史的に「この市川市の安楽寺」では、長い歴史と言われにより「天皇家と同じ菊の御紋」を使っているのだと、思いました。

後深草天皇の姫(常盤井宮内親王)が、

この地に辿り着き、

隠れように住み着き、身分を調べたら、「天皇の姫」であった。

鎌倉幕府も、天皇家を大事にして、姫(常盤井宮内親王)を 丁重に、お持てなしするよう村民に命じました。

その対価として、年貢を「奉免する」ことを村民に告げました。それだけ、幕府も 朝廷を敬ったのです。

姫(常盤井宮内親王)は、村民の手厚い看護で、病状が 日々 良くなり、遂には、病気が治りました。

姫は 村民に感謝感激であります。

現市川市に日蓮上人を祀る「法華経寺」があります。

大きな寺院であります。日蓮上人が書き残した「国宝・立正安国論」が、「法華経寺」に保存されております。

私は この「法華経寺」には何度も行っておりますが、成田山新勝寺と並ぶ千葉県でも有数の大きな寺院であります。

この「法華経寺」で姫(常盤井宮内親王)は、「日蓮上人」に会い、その門下に入ったのだそうです。

そして 帰依して、「尼」となり、世話になった「現市川市奉免町」に「安楽寺」を建てたのであります。命の恩人の村人たち。現在でも 市川市奉免町には、姫(常盤井宮内親王)の建てた「安楽寺」が 厳かに、立っております。

私と同行した岡崎葉が、姫(常盤井宮内親王)に成り切って、当時を語ってくれました。岡崎葉は 地域の歴史が大好きで、よく 地域の歴史を調べてくれます。

この後、近くにある「弁天池」に立ち寄りました。

暖かくなってくると、水が恋しいです。「弁天池」の水は、湧水です。

大昔からこの池は存在したそうで、縄文人たちも この池の水を飲んでいたのだそうです。

低地にあり、現在でも こんこんと水が湧いています。

旅人たちも、この池に立ち寄り、水を汲み、体を清め、今日に至っています。弁天池も凄い歴史があるのだと、私は、感慨深かったです。

 

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