千葉事務所の裏には いくつ古墳があるか?市原市五井駅周辺の古墳を探す
うちの千葉事務所の裏には、たくさんの古墳があることは、知っておりました。どちらが裏で、どちらが表だか分りませんが、事務所から 南西の方向に、歩いて行くと、たくさんの古墳に、ぶち当たるのです。
まあ、歩いて行くと 大変なので、この日は 車で 古墳探しに出掛けました。大きな有名な古墳もたくさんあるのですが、今まで 主な大きな古墳は廻りましたので、五井駅周辺で、
目立たない小さな古墳を探します。
「いや~!」地図で古墳を探すと、裏の方には、70以上の古墳がありました。私は一つ一つ数えたのですが、眼が疲れたので、やめました。それでも 纏まって、70以上ありました。
古墳時代以降の古墳が主ですが、なかには「行人塚」と呼ばれている、もっと後世の塚もあります。
「行人(ぎょうにん)」とはその地の著名な僧侶を呼ぶことが多いです。「行人(こうじん)」と呼ぶ場合は、「旅人」ですね。従って、「行人塚」とは、偉い僧侶の墓か、「行き倒れになった旅人の墓」のことがあります。どちらか、分からないことも多いです。
さて、この日は 黒子さんが同行です。まず、車で 20分ほどの「五井駅」に向かいました。
ホームも改札も共通です。
私は 昔 五井駅周辺を、顧客を獲得するために、周辺を歩いて、営業活動をしたことがあります。30年も昔のことです。まだ 店や会社も少なくて、結果は よくありませんでした。
海側の大企業で働く人々の通勤の駅でした。現在でも そうですが、現在は 駅前は かなり発展致しました。
「五井駅」周辺には、多くの古墳があります。そう大きくない古墳が多いです。名もない古墳とでも申しましょうか。長い間に 人が大勢住み始め、古墳を削り、宅地化して、古墳が 消滅してしまったケースも多いのです。または 古墳を加工しました。コンクリートで覆ったり、石で囲ったりしました。
まず、五井駅の北側、車で 5分ばかりの処に、「平田古墳」を見つけました。
もともと古墳は 墓ですので、後世 その周辺には、後世の人々の墓を造りました。「平田古墳」の周辺には 多くの墓がありました。
「平田墓地」と呼ばれています。「平田古墳」の傍には、少し高くなった土盛がありました。
この土盛も、古墳です。「名もない古墳」です。人は 必ず 死にますので、亡くなると、埋葬し、土盛りをするのです。この辺りには 過去の数千人の遺骸が埋葬されている筈です。
次に 行きましょう。すぐ近くに、「阿波須神社」がありました。
この神社は、この辺りの守り神・「大宮神社」の「兼務神社」です。「兼務神社」とは、大きな神社の子神社になります。
言わば 支店です。
人々が大勢 参拝に来るので、危ないので、古墳は 大きな岩で固められておりました。こうすれば、崩れることもないし、頂上に登っても、古墳が 人々によって、削られることもないでしょう。
大通りからは よく見えます。目立ちますが、関心がなければ、素通りです。
次は、「君塚天神山古墳」へ行きましょう。この古墳は、市原市君塚にあります。
君塚の意味は、
「女房の塚」と言う意味なのか、現在は地名になっています。
周辺は 住宅地になっておりますが、「君塚天神山古墳」は削られずに、今日まで 健在でありました。
「君塚天神山古墳」から 100メートルほどしか離れておりません。これは、市原市君塚にある「円墳」ですね。
地名から来た古墳名だと思いました。そして、後世 「君塚クワノ木古墳」の周辺は 一般の墓地になりました。
普通に「君塚クワノ木古墳」の前を通過しても 気がつきませんね。
古墳の後は、この地の守り神様である「大宮神社」に立ち寄りました。
古い神社のことが多いです。
大勢の新婚さんが、「子宝に恵まれますように」と、そして 「安産と子供が健康に育ちますように」、と 初詣に来ておりました。
私は もう、子供は作りませんが、娘の安産と孫が健康にすくすくと育ちますようにと、願を掛けて参りました。
最近、「私の願いはなくなった」と思っておりましたが、ありました。「家族と娘たち、そして孫たちが健康に育って欲しい」と、願ったのでした。
帰ります。事務所までは 近いのですが、途中 行き止まりに、はまりました。
「何だ こりゃ?」。店の人が、不審者がいると思って、出て来ました。二人は逃げました。
それから、20分ほどで、事務所に帰ることが出来ました。
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