山武市は何と読むか?波切不動院は、昔は波間にあった、九十九里浜に出掛けてみて感じたこと | 西村治彦の日記

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山武市は何と読むか?波切不動院は、昔は波間にあった、九十九里浜に出掛けてみて感じたこと

 千葉県山武郡は、(さんぶぐん)と読みます。では、山武市は何と読むでしょうか? 正解は「さんむし」と読みます。紛らわしいですね。何で このような読み方の違いが出来たのでしょうか?

 調べました。そうしたら、山武郡は その合併以前は、「山辺郡(やまべぐん)」と「武射群(むしゃぐん)」でした。 合併後、その頭を取って「山武郡」になったのだそうです。読み方を そのまま 踏襲して、「さんむぐん」と 呼んだのだそうです。

しかし 何のいきさつも知らない人々は、普通に読めば「さんぶぐん」と読んでしまいます。大勢が「さんぶぐん」、「さんぶぐん」と読むので、いちいち訂正するのも面倒なので、そのまま「さんぶぐん」となってしまったのだそうです。多数決です。


一方、「山武市」は やはり 市町村合併の時、純粋に、本来の「さんむ」に戻すべきである、と言う意見で、「さんむし」と読むことに決めたのだそうです。

 しかし「さんむし」も、大勢の人々が、「さんぶし」、「さんぶし」と呼べば、押し寄せる大波を 押し返すことも大変なので、いずれ、「さんぶし」に なって行くのだと思います。このパソコンでさえ「さんむし」 と入力しても、普通であれば、「山虫」としか 出てきません。とても変換が面倒です。

そう言う訳で、変換が面倒な「山武市」にある「波切不動院」に、

今回は、大久保と福嶋を同行して、行って参りました。

この「波切不動院」は

 何が凄いかと申しますと、

寺の本堂が、崖の上に建てられているのです。

赤い本堂は、遠くからも目立ちます。岩の凸凹した上に建てるので、脚の長さを変えて、懸崖作りになっています。

26本の柱の上に本堂が乗っております。

731年に行基が開基したのだそうです。古いですね。

本堂は、「石塚の森」と呼ばれる標高30メートルの石塚山の上に建っています。珍しいから 誰しも 登ってみたくなります。

本尊は「不動明王」であります。

「不動明王」は たとえ「火の中」でも「どのような困難」でも 動じず、不動なのです。

凄いですね。人々の憧れです。私など、不動明王になりたくて、わざわざ、顔を私の顔に代えて、床の間に飾っているほどであります。

人生は、「動じない」ことが 一番だと思います。「動じるな!動じるな!」と暗示に掛けて、「動じない!動じない!」と唱えてみても、心底、実力が着いていないと、はかなく消える「空中楼閣」であります。

本当に 熱い火の中で 動じないためには どうしたら良いでしょうか? 「熱い火」は「艱難辛苦(かんなんしんく)」と置き換えます。

 社会に生きる時に、我々に 立ち向かって来る困難です。自分の考えや行動を拒否されると、「艱難辛苦」を感じます。止まって休むのか、退却するか、戦って乗り越えて行くか!

止まって休んで、時間が経過して、そのまま人生が終わってしまう人々も多いことでしょう。諦めて、退却して、他の人生を歩むのも良いでしょう。ただ 他に、より良い人生があるかどうかは分かりません。

まだ 時間がある若いうちなら、他に、より良い人生が見つかるかも知れません。

戦って乗り越えた人々は、心の中では喜んでいるかも知れません。

  ある程度 成功したと思える人々も「他の人生のほうが、良かったかも?」と後悔しているかも知れません。夢は切りがありません。

若い頃の「夢無限!」が、気が着いたら、年を取り過ぎていたかも知れません。

「不動明王」にお願いして、今一度、挑戦するのも良いでしょう。人生は「夢」を持って、「夢」を追いかけることなのです。

「夢」を持っている時、人生が充実していると感じたら、それは幸せだと思います。

人生が、周りに迷惑を掛けずに、幸せであれば良いのです。

 帰りに 九十九里浜に立ち寄りました。

昔は、「波切不動院」は 「波を切る場所」にありました。

海辺にありました。

海が後退して、

かなり遠くになりました。

そんな、、「波切不動院」と「九十九里浜」に立ち寄って、

随分,時の経過は,
世の中を変えていくのだ,と感じて、
3人は 事務所に戻ったのでした。楽しかったです。


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