芝山古墳群と芝山仁王尊へ。 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

芝山古墳群と芝山仁王尊へ。

千葉県山武郡芝山町には、古墳が多く存在します。6~7世紀に造営された古墳であります。


 古墳は 4~7世紀に勢力を持った、その地の有力者の墓であります。大きな前方後円墳から小さな円墳まであります。古墳時代最盛期には 有力者は 大きな前方後円墳を造り、脇に やや小さな前方後円墳を造り、また その脇に、小さな陪塚が 造られました。

ここ、芝山町にある「殿塚」は 大きな前方後円墳であります。全長88m、高さ10mあります。

そのすぐ脇に「姫塚」と呼ばれる やや小さな前方後円墳があります。

長さ58m、高さ5mであります。「殿塚」の傍には 他に「陪塚」と呼ばれる小さな円墳が見られます。「陪塚」は 殿の側近であった女性の墓と、私は考えております。

 「姫塚」は「殿(豪族の長)」の「正妻であった女性」が埋葬されていると考えられます。発掘された埋葬品や、二基並んで 古墳があると言うことは、男と女の墓と考えたほうが 自然であるからであります。「陪塚」は 生前 従えていた、「お付の者」であると 考えたほうが自然です。ただ 推測なので、決定ではありません。

 今回 この「殿塚」と「姫塚」に 行ってみたところ、古墳を管理する「芝山町」の担当者と古墳の研究者である、高校の先生が 来ておりました。



 私は 今回 この古墳には 5回目くらいの訪問です。「殿塚古墳」の馬の背部分で、既に 石室が発見されていたのですが、今回 驚いたのは、「石室の上」に、下敷き状の物を敷き、

その上から「コンピューター状」の板をかざすと、説明文や写真が 写し出されたことであります。



しかし このような方法は 知る人ぞ知る「常識」でしょうか。

私は 来ていた「芝山町役場」の人に質問しました。

「これはARと言い、板に読み込まれた情報を この板状のパソコンが読み取って、説明や写真が 瞬時に 浮かび上がるのです」と。


 私は 最新の知識がありませんでした。

この技術を利用して、我々は 業務に使えないものでしょうか? 板状のパソコンを持ち歩いて、かざせば、たちどころに、情報が得られる。実際に 芝山町では これを利用して、古墳管理をしています。


 古墳に限らず、いろいろな物に 活用出来るのでは、と 私は 古墳の上で考えました。

この「殿塚」「姫塚」周辺の芝山古墳群には 数え切れないほどの多くの円墳が 存在するのです。

管理は ARで行うに限るのか。


 さて、「殿塚」「姫塚」を見終わって、次は すぐ近くにある「芝山古墳・はにわ博物館」に向かいました。

「殿塚」「姫塚」を始め、芝山古墳群で発掘された埋蔵物を展示してあります。


まるで 目の前で発掘されたばかりのような「埴輪」

「土器類」が展示されております。当時の服装姿の埴輪もあり、興味津々でした。


 須恵器は 大陸から製造方法が 入ってきて、1300度の高温で焼いた黒っぽい土器であります。

それまでの縄文土器や弥生土器とは 違います。

仏教が入ってきた飛鳥時代の

「文字の書かれた土器」がありました。

「墨書土器」と申します。「井戸」とか「三田酒」とか 書かれております。字が上手いです。こちらも興味津々でした。

 次に すぐ裏にある「芝山仁王尊」に

 行きました。

ここは「観音教寺」と 正式には 申しますが、「芝山仁王尊」と言う名称が 一般的に 知れ渡っております。

8世紀に創建された寺院です。


 ここの「三重塔」が とても 美しい。

私は 何度も この「三重塔」を 見物しに来ておりますが、いつ来ても、「芝山仁王尊の三重塔」は、美しいと感じます。都会からは かなり離れているので、あまり多くの方々は ご覧になったことはないと思います。


 しばし、見とれて 時の経つのを忘れます。

 ここは、成田国際空港から 程近いところにあります。時折 頭上を 飛行機が 大きな音を立てて 飛んで行きます。


空の色は 澄んで、とても気持ちが 良いです。初冬の空の色です。古墳時代の人々も 

この澄んだ空の色を眺めながら、人生を歩んでいったのでありましょう。


 1500年もの昔の古墳の町、

芝山に行ってみませんか?


ブログランキング参加中です。

クリックにご協力おねがいします。

↓こちらをクリックしていだだけますでしょうか。


にほんブログ村