小御門神社の心霊スポット、公家塚に眠る後醍醐天皇の側近、藤原師賢の魂 | 西村治彦の日記

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小御門神社の心霊スポット、公家塚に眠る後醍醐天皇の側近、藤原師賢の魂

1333年に 鎌倉幕府が滅びました。足利尊氏、新田義貞らが、最後の幕府の執権、北条高時を滅ぼしました。武士社会から 朝廷への政権移譲を図りました。この時 朝廷では 後醍醐天皇が「建武の新政」と言う新たな朝廷による政権作りをしたのです。


 この「建武の新政」は3年ほど続きましたが、足利尊氏らは、やはり武士による政権作りに奔走し、京都には 足利尊氏による「北朝」が作られ、後醍醐天皇は 吉野に「南朝」を設立しました。


この南北朝時代は 1336年から1392年まで 56年間 続きました。その後 統一を目指した群雄割拠の戦国時代へと突入致します。


鎌倉幕府を倒す志の「後醍醐天皇」は 比叡山で 鎌倉倒幕の兵を挙げた時(元弘の変、1991年から1993年)、天皇の側近の「藤原師賢(もろかた)」は、服装を天皇に見立てたので、敵は天皇と思い、「藤原師賢」を 捕えました。その間に「後醍醐天皇」は笠置に逃げ延びました。

「後醍醐天皇」の身代わりとなったため、
捕えられた後は、「藤原師賢」は 下総(現千葉県)に流されまし

た。その流された先が 現、小御門神社(こみかどじんじゃ)のある、千葉県成田市名古屋であります。
当時 京都の比叡山から 下総まで 流されては、独力で 京都へ戻ることは 難しかったでしょう。島流しです。3年後に「藤原師賢」は 亡くなりました。

32歳でした。

「藤原師賢」は 公家ですので、「御門(みかど)」であります。


後世 ここ下総の人々が、「御門」を 偲んで、「藤原師賢」の墓の脇に「小御門神社」を建てました。


「公家塚」は 島流しで亡くなった「藤原師賢」が 埋葬されており、人々は 鬱蒼とした森の中のこの塚には 近寄らなかったそうです。


近寄ると「たたり」があると 言い伝えられ、今日に至ります。


過去の長い間の政権抗争の中で、不運にも 捕えられ、上手く行っていれば、政権を取れたかもしれない有用な人々も、大勢おりました。偶然にも 捕えられ、島流しにあったり、殺害されたり、歴史は 結果で 評価されます。

「後醍醐天皇」が 政権を取る前の段階で 捕えられたので、島流しになり、夢を果たせず、異国の下総で 亡くなったのです。

「藤
原師賢」は 有能な人であったそうです。


「公家塚」は、「小御門神社」の本殿の裏にありました。

鬱蒼とし
た森の中に、御門は ずっと眠っているのです。


誰も 触れない、心霊スポットなのです。

塚の上には 大きな木が
生え、鬱蒼とした森に 一段と 怖さを感じます。


心霊スポットとしては、長年の歴史を感じる、とても怖い墓である「塚」でした。

恋人とは 行かないほうが良いかも知れません。

怖いですから。怖
いからと 彼女が 抱きついてくることを期待するのなら、良いでしょう。



何せ、望みを果たせず、32歳の若さで 流されて 死んでいった御門の亡霊を感じます。


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