鉾田の夏祭り、鉾田の美女、北浦の夕景、橋の崩落 | 西村治彦の日記

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鉾田の夏祭り、鉾田の美女、北浦の夕景、橋の崩落

 この日は ウチのアンパンマンこと藤井智恵さんの地元に近い、茨城県鉾田市の「鉾田夏祭り」を見学に出掛けました。

「鉾田夏祭り」は400年以上の歴史があり、「鉾神社」の夏の一大風物詩であります。


 鉾田市は人口 51,000人の農業の町であります。特に メロン、イチゴ、スイカ、野菜類を 栽培しております。

茨城県土浦市と水戸市には ウチの事務所があり、鉾田市には32件のお客様があります。

あまり 多くありません。

鉾田市には、事業所自体が あまり多くないからでありましょう。


 この日は、アンパンマンは、住んでいる家の近くのJR土浦駅から水戸駅まで電車で行って、鹿島臨海鉄道に乗り換えて、「新鉾田駅」まで 南下して やって来ました。

私は 東関東高速道路を北に向かい、終点の潮来インターで降り、太平洋の鹿島灘に沿って、鉾田市へと向かいました。途中 サッカーJリーグの鹿島アントラーズの本拠地、鹿島サッカースタジアムの脇を通過しました。


千葉から2時間20分ほど 掛かりました。結構 遠いです。

誰もいない新鉾田駅前で 待っていると 電車が到着しました。ホームからは、7~8人が降りてきました。鉾田の祭りなので、もっと大勢が降りて来るかと思いましたが、少ないです。

最後に 見慣れたアンパンマンが降りてきました。

再会を喜ぶようであります。

 駅を降りて 珍しいから 記念撮影を致しました。



撮影先の電車のガード下には、「祭りの山車」が 休んでおりました。

山車を引く人は少ないです。駅前に 1軒ある 日本蕎麦屋に入り 昼食です。


食事後に 少し行ったところに、もう一台の山車が 引かれておりました。こちらは 引く人が少なすぎるので、トラックが 山車を引いておりました。

山車を引く人が少ないので、山車が可哀想です。坂では 人力では 登れませんね。

鉾田市役所に私の車を駐車して、暫く歩いて、露天のたくさん出ている賑やかな祭りの中心部に

着きました。

「鉾田の美人さんたち」が 大勢 歩いておりました。



どこに行っても 美しい女性がいるもので、



祭りの楽しみの一つです。


それでも 山車は 何台も

 通過して行きます。

地方の懐かしい夏祭りです。

翌日から 9月になり、各地に 移った鉾田出身の人々は 帰って来られなくて、祭りの参加者は 少ないのでしょうか。


この「鉾田の夏祭り」は、地元「鉾神社」の「鉾神社御大礼祭」であります。

帰りに「鉾神社」に寄りました。そう大きくはない神社でしたが、「鉾神社」の「鉾」の周りにある「田んぼ」から「鉾田市」の由来があるのだと思いました。


帰りは 鉾田市から南に延びる「北浦」に沿って、アンパンマンの自宅がある「土浦市」に戻ることにします。 

「北浦」の堤防で 記念写真を撮っていたら、

自転車に乗ったおっさんが 私に話し掛けてきました。

「渡辺さん」と言うおっさんです。ここから見える「北浦大橋」の袂に住んでいるそうです。

話好きです。

「渡辺さん」によると、3年半前の大地震で、「旧北浦大橋」は 湖の中に 崩壊したのだそうです。橋の途中を走っていた女性が、あまりの揺れに 立ち往生し、後続の車の男性が、「早く行け!」と怒鳴りつけたのだそうです。女性は 怖くなり、バックして 橋の袂に戻りました。怒った男性は そのまま走り、橋の真ん中に来た時、突然 橋は、全部が、大音響と共に、湖に崩壊したのだそうです。この男性は 死亡したそうです。

この画像は 新しく完成した「北浦大橋」であります。淡水湖の橋としては 長さが日本第二位であります。(第一位は琵琶湖大橋の1400メートルです)
 今後 橋の上を走っていて、大地震が来た時は、行くのか 戻るのか どちらが早いのか、よく計算して 判断したほうが 良いと思いました。

渡辺さんは 64歳で 無職で 今まで独身で、田んぼを 少し耕して米を作り、野菜を自分で育て、北浦で魚を採って、自給自足の生活をしていると申しておりました。

「な~に!現金収入なんて ほとんどないよ!」と申しておりました。

北浦の夕陽が見事です。


旅に出ると いろいろな人に出会います。帰り、霞ヶ浦の「ふれあいランド」を通過して、

土浦市に 到着しました。

「アンパンマン!また来週、東京事務所で会いましょう!」





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