公魚は公方に献上したから、そう書いた。茨城県麻生市の藩主の武家屋敷 | 西村治彦の日記

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公魚は公方に献上したから、そう書いた。茨城県麻生市の藩主の武家屋敷

 この日は 黒子さんと 茨城県に出掛けました。茨城県には、「霞ヶ浦」と言う日本で二番目に広い湖があります。私は 以前は 釣りが好きで よく 霞ヶ浦に 魚釣りに出掛けました。


 霞ヶ浦水系では 公魚が釣れます。冬に 氷に穴を開けて 公魚を釣るシーンを よく見ます。

氷がなくとも 公魚は釣れます。夏でも 公魚は釣れます。公魚は 食欲があるのか、夏でも 餌を投げ込むと すぐに 浮きを ピクピクさせて、着いている餌を突っついています。

私は 大きな魚を釣ろうと 釣り針を大きくしているので、口の小さな公魚は なかなか釣れません。思い切り竿を 上げると、時々 公魚が 腹に 大きな針が刺さって 釣れることがあります。

 霞ヶ浦では、以前は「帆引き舟」で 公魚を獲りました。

現在では 観光用に 曜日を決めて 出ているそうであります。


 公魚は「わかさぎ」と呼びます。公魚は 当て字ですね。江戸時代 ここ霞ヶ浦に面した 現、行方市麻生地区の麻生藩が 江戸幕府の将軍である公方(くぼう)、三代将軍徳川家光公に「わかさぎ」を食料として献上したのだそうです。公魚のすずめ焼きは 美味しいですね。


公方とは 時の権力者のことを 朝廷の天皇を含めて 代々そう呼びました。例えば、江戸時代には、5代将軍、徳川綱吉は、生き物の殺生を禁じた「生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)」を発布し、「犬公方」と呼ばれました。

 公方に献上した魚なので「わかさぎ」を「公魚」と書くようになったのだそうです。

私は ここ 麻生藩武家屋敷に来て、初めて そんな事実を 知りました。

 麻生藩は 霞ヶ浦の裏にある目立たない藩ですね。

現在でも 行方市(なめかたし)麻生地区に行くと、静かで、人口も少なくて、のんびりしています。私は 自宅から茨城県の土浦事務所に行く時は この霞ヶ浦の裏街道を行きます。途中 霞ヶ浦の景色が良いので、「天王崎」などに立ち寄ります。「天王崎」は 霞ヶ浦に 少々 でっぱった岬であります。


 モーターボート、魚釣りなどに 多少の人が やってきます。広々しています。岬の手前には「白帆の湯」と言う温泉があり、温泉好きには たまりません。私は 今回 タダで 足湯に入ってきました。


 また すぐ脇には「風の塔」が立っていて、天王崎のシンボルになっています。


 しばし 美しい湖を眺めて、近くにある「麻生藩武家屋敷」に 行きました。

ここは 江戸時代に、「第十三代藩主、新庄直彪」

の武家屋敷でありました。

入母屋造りの茅葺き屋根であります。


 今となっては、私も この家に住んでみたいとは思いませんが、当時は 藩主の家なので、最高級の家であったのでしょう。

台所には カマドがあり、

広い部屋が

 いくつもあります。


 ここ麻生地区には あまり 観光として人々は立ち寄らないので、私たちが 見学している間は 誰も訪れることはありませんでした。


 静かな、静かな武家屋敷。



しばし 私と黒子さんは 田舎の静寂と歴史を楽しんだのでした。


 なにも 京都や奈良に行かなくても 霞ヶ浦の裏道に、こんな歴史を感じさせてくれる武家屋敷がありました。



 明治維新になるまで、ここには 麻生藩主が 住み続けていたのです。


 管理のおばさんもいましたが、手持ち無沙汰で、庭掃除を丁寧にしておりました。


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