父 西村彦太郎は画家なのです。97歳で元気です。 | 西村治彦の日記

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父 西村彦太郎は画家なのです。97歳で元気です。

父は本名は「西村彦太郎」なのですが、プロの絵描きなので、雅号を持っています。絵描きの雅号は「西村赫(かく)」と申します。
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現在 97歳6ヶ月になります。私の自宅の すぐ近くに 父は一人で生活しております。

何でも自分で やって生きているので 私は あまり 介護などには行かず、たまに 元気かどうか 会いに行く程度のことなのです。
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 訪問介護の方々が 一日おきに 父の住んでいるマンションを訪問して くれています。また 週に一度は 介護施設に 車で連れていってくれて、風呂や食事のもてなしを受けています。
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私は 特に 何もやらずに 仕事に専念出来ているのは、介護保険のお陰であると感謝しております。老人を 持って 初めて分かる 素晴らしい制度であると改めて感謝しております。

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私の女房は、しかし 大変だと思います。実の自分の父親でもないのに、私に代わって 食事を運んだり、身の回りの世話に出掛けたり、献身的な世話をして、いつも 私は 感謝しております。
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代わりに 私は 一生懸命 働いて、仕事の利益は 女房に献上させて戴いております。

父 彦太郎は 97歳なので、過去の友達とか知り合いは 殆ど 亡くなってしまっていて、知り合いが 少なくなり「寂しい、寂しい!」と申しております。私が世話になった多くの父の知り合いも 他界してしまい、「歳を取る」とは 「知り合いがいなくなること」でもあるのです。
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父の高校時代(函館商業高校)の同級生も だれ一人 生きていないそうです。父と仲が良かった「絵描きさん」も 誰も いないです。私が 子供時代に 世話になった父の友人も 誰もいないです。
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まあ 知り合いといえば、我々 家族だけです。私には 弟の「紀雄」がいますが、房総半島の先端の都市「館山」に住んでいて こちらには 殆ど 来ません。父の知り合いは「私たち夫婦」と「訪問介護」の方々だけであります。父は いつも「寂しい!寂しい!」と 言っております。人間は 人間がいないと 寂しくて 生きていけないのですね。
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 私も 反省して、これからは 仕事の量を 減らしてでも 父と一緒にいてあげたいと思っております。

それでも 父は 絵描きなので、体調が良ければ、「絵を描いています」。天から与えられた仕事なのですね。「すること」が あるから 父は幸せです。歳老いて 何もやることがなかったら どうしましょう? そう言う意味では 父が「絵描き」になったのは 正解であったでしょう。
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 私は 果たして 父と同じ年になった時、何をしているでしょうか? 父が 私に 与えてくれたことは 「一人で生きていけ!」と言うことでした。

 それで 私は「社会保険労務士」と言う道を 選んだのです。
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それと 父の様に「長生き」したいです。遺伝的に きっと「私も長生きである」と 信じていますので、父と同じ97歳までは 生きる積りでおります。
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どうも 父を見ていると、長生きの秘訣は「自由奔放に生きて ストレスを残さないこと」「小食で 食べ過ぎないこと」「無理をしないこと。疲れたら すぐ 休み 早寝して、朝 起きられるまで寝ていること」「自分が 世の中で一番偉いと思うこと」「人の意見は聴かずに 自分が一番正しいと思い行動すること」「自分が正しいと思ったら怒鳴ること」であります。後半部分は どうでしょうか?私は 人の意見を聴くように しています。そのほうが 良いことを 取り入れられるので 得をします。自分が正しいと思っても 怒鳴らずに 冷静に 理論的に 相手を説得するよう話をします。それが 人の心をを動かす話し方になるからです。

知らず 知らず 私も 父に似てくるかも知れません。
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「もう すでに 貴方は 父親にそっくりですよ!」と女房に言われます。自分では そのようなことはない、と思っていますが、周りから見て どうなのでしょうか?

 私も これからは 父と同じように 生きて行くのでしょうか? それとも 人と融和して 生きていったほうが 良いのでしょうか? 私は 後者で生きていきたいと思っています。

 

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