明けましておめでとう御座います。新年に思う。 | 西村治彦の日記

西村治彦の日記

日々の出来事を書いています。

明けましておめでとう御座います
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昨年中は御世話になりました。昨年中は 東日本大震災があり、大津波と福島第一原発の放射能放出がありました。私も この大地震の時 千葉の研修所で研修生に講義をしておりました。

 突然の大揺れ、私は冷静を装っておりましたが、女性の研修生は 恐ろしくて私にしがみついてきました。この時のきっかけで、人には言えませんが、私とこの研修生とには 人間愛が生まれました。地震の後、「千葉にも大津波が来る」とテレビで 放送があり、私は 他の社員に 裏のうちの大きなマンションにある「寮」に逃げる様指示をしました。しかし 誰も着いて来ませんでした。

寮に逃げたのは この女性研修生と私だけでした。眼の前で「コスモ石油」の大爆発がありました。原爆の様な「きのこ雲」が空高く舞い上がりました。空が真っ赤に燃え上がりました。二人で 恐ろしく震えながら、夕方から夜を過ごしました。


 暖房器具を着けることも忘れて、不安におののき、寮の部屋で 恐怖の時間を過ごしました。
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 こんなことは 普段はないことです。 

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しかし この時以来 二人には人間愛が芽生えたのです。
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地震をきっかけに こんな状況が あったのです。 

私は 一国の主、彼女は 入社間もない研修生。それなので 私の頭は理性を持って 冷静に自分の行動を 分析していました。

 

 こうして 昨年は 乗り切りました。

本年は 大きな事件や騒動が起きるでしょうか? 冷静に乗り切りたいと考えております。

どうぞ よろしく お願い致します。



●どうも変な新年の挨拶になってしまいました。すいません。もう一度 新年の挨拶を やり直します。

 ○開けましておめでとう御座います。昨年中は このブログを通じて いろいろと皆様方にご迷惑をおかけ致しました。今年は反省の年にしたいと考えております。

 昨年の大地震で人命のみならず、多くの会社や個人事業所が 大きな影響を受けました。うちでは茨城県の顧客が、大きな被害を受けました。北の方の事業所は直接に大津波の被害を受け、社長も従業員も、建物も、流されてしまい、連絡も取れずに「おかしいな」と思っていたのですが、社長も社員も亡くなってしまいました。北に行くほど 被害も甚大で、うちも経営が行き詰った事業所に対する諸手続きを 連絡がつき次第 行いました。東日本大震災の影響を受けた他の地区の経営に対する影響も大きく、廃業を余儀なくされた事業所も 数多く ありました。

そんな時 雇用保険の手続きが 多忙でした。業務中 津波にあって 流された人の労災、厚生年金の手続きも 注意深く調べて 手続きを取りました。

このような不測の大災害に対しても 社会保険全般が どんなに人助けになったことでしょう。

また 経営が継続できなくなり、多くの労務相談がありました。会社を整理するが 法的にどのように したらよいか、という問い合わせです。その会社に経済的余裕がある場合とない場合で考えました。通常 中小の企業は、他の関連会社に再就職を紹介するほどの余裕はありません。

1か月分の解雇予告手当てを払えるのか、退職金制度があれば その確保、雇用保険の手続き、健康保険の継続給付の有無、傷病手当金の継続はあるかないか、労災受給中の人はいないか、などなど。

 解雇せざるを得なくなった全社員を前に、この社長の心の中は いかようであったでしょうか。聞く全社員も、社長と長い間 一緒に苦楽を共にしてきて、流れる涙は止まることがなかったことでしょう。語るも涙、聞くも涙であります。

そんな事業の浮き沈みを、私も40年間、見聞きしてきて、「社会保険労務士になってよかった」と しみじみと思うのです。「縁の下の力持ち」。そんな印象の40年間でした。

うちの「茨城事務所」も地震で 痛めつけられ、
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土浦市役所から「危険土地、使用禁止」の張り紙をされましたが、
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補修をして どうやら 継続して使うことが出来そうです。
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震災以降は「災難にきちっと対応できるよう 最低限、各種社会保険を完備し、労働基準法に則(のっと)った整備をしよう!」という事業主の 心構えが 強くなってまいりました。

社会保険労務士は ますます多忙であります。

今年も 誠心誠意 頑張りますので どうぞ 宜しくお願い申し上げます。

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