「護国寺(ごこくじ)」は、東京都文京区大塚五丁目にある真言宗豊山派の寺です。神齢山悉地院大聖護国寺と称します。天和元年(1681年)2月7日、徳川第五代将軍・「徳川綱吉」は、母、「桂昌院」の願いをうけ、
高崎の大聖護国寺住持であった亮賢に高田薬園の地を与え、「桂昌院の祈願寺護国寺」の建立を命じました。本堂(観音堂)本尊は堀田正虎の母・栄隆院尼寄附の「如意輪観世音菩薩」です。境内に三条実美、山縣有朋、大隈重信らの墓所が造られました。
「いや~!大きな寺院です」 私は、次女を誘って、「護国寺」に行って参りました。文京区大塚五丁目にあるので、私の子供の頃から、私は、「池袋」に住んでいたので、「護国寺」は、身近に感じていました。
現在でも、高速道路からも、「護国寺インター」から、乗り降りすることが多いです。
「護国寺の山門」は立派です。国の重要文化財です。「山門」を潜ると、広い参道です。「参道」を少々歩くと、高い石段があり、登ります。
登ると、「鐘楼」があり、
左側には、「多宝塔」が聳えます。
この「多宝塔」は恰好が良いですね。
「二重の塔」です。
反対側の右側には、「大仏」が座っています。
「護国寺の大仏」は、元々は、筑波山にあった「護持院」が火災で焼けたため、大仏(毘盧遮那仏)は、筑波山大権現(現・筑波山神社)の別当(神社の寺)・護持院から移されたものなのだ、そうです。
正面には「本堂」が構えています。私と次女は、「本堂」を前に記念撮影です。二人は本堂で参拝して、
「本堂の周囲の縁側」を歩きます。
「本堂の中」では、「護摩」を焚いています。
「護摩」とは、願いを叶えるとめに、信者が「板」に願いを書いて、僧侶が、火をつけて焚きつけます。信者は金を払います。僧侶の読経する時間が長いほど、「お布施」の値段が高くなります。大勢の方々が、願いを叶えてもらおうと、本堂には満員です。傍らで、他の僧侶たちが、「御朱印」を一心に書いています。
私たちは、本堂の裏に回ります。左側には 「大師堂」がありました。本堂の裏と右側は「墓所」になっています。広い墓所です。裏には「三条 実美(さんじょう さねとみ)」の墓がありました。
「三条 実美」は享年53歳です。日本の公卿、政治家です。
三条家31代で、位階勲等爵位は、正一位大勲位公爵です。
幕末には尊王攘夷・討幕派の中心的な人物であり、明治維新後は元勲の一人として右大臣、太政大臣、内大臣、貴族院議員などを歴任しました。内閣発足以後の内閣総理大臣臨時代理も兼任しています。江戸・明治時代の方々は、今に比べると短命です。栄養や知識、医療がまるで違っていました。
墓所をさらに進むと、「早稲田大学」と書かれた「鳥居」がありました。この「鳥居」の後ろには、「大隈重信」の墓所がありました。
享年83歳です。
「大隈重信」は「早稲田大学の創設者」です。私も、大学時代には、「大隈重信公」の銅像を眺めながら、勉学に励みました。
「山縣有朋」の墓がありました。他にも 有名人の墓があるのですが、探せませんでした。本堂を一周して、
帰ります。駐車場も広くて、ゆっくりと「護国寺」を散策出来ました。帰ります。千葉事務所まで、1時間くらいでした。
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