やっとこの話ができる!

 

先日久しぶりに太宰府天満宮に行けた。

 

何じゃこの人だかりは!?

GWが終わっての平日なのに??

よく考えてみたら、GW明けで、

多くの中学生・高校生が修学旅行で来ているのも一因か。

 

とか言ってるが、これじゃよく分からないかな。

寄ってみる。

仮の本殿が見える。

知らなければ、周囲の山と混然一体になって分からないくらい

その屋根の上に植物が茂りまくっている。

そのデザインは大阪・関西万博の会場プロデューサーでもあった

藤本壮介氏によるものだ。

道真公を慕って、京都から一夜で飛んできた、という飛梅伝説をモチーフとして

鎮守の森の種がこの仮殿の屋根に飛んでくる、というコンセプトで

今や屋根の上には60種以上の植物がある、という。

 

屋根の上の森の豊かさは通しを得るたびにさらに増して・・・・

って、萌え過ぎだろう?!

この仮殿がここにあるのも今年の5月16日(土)まで。

終われば、この草木は宮内のあちらこちらに「神木」として祭られるという。

 

 

んで、この仮殿の背後には

この飛梅は、今年は大不作で、たった8個しか結実しなかったそうだ。

その塗りは本物の漆(うるし)で、

謎めいたほどにその艶を湛えて居る。

 

今の仮殿もいいが、その本殿はさらに壮麗だろう。

 

と眺めていると

「ちょっとちょっと、写真撮ってくれへんかぁ?」

と大阪訛りの声をかけられた。大阪のオバチャンだ。

 

「ああ、いいですよ」とスマホで撮ると、

「お兄ちゃん、すんまへんねぇ。どちらから?」

「いや、地元と言ってもいいんじゃないかと思いますが。」

 

こういう時に写真をお願いされるのは、珍しい事じゃない。

余程声をかけても安心だ、と思われているんじゃないか?

 

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さて、金属供出の話をしたが、

この犠牲物(?)として日本一有名なのが

渋谷駅前の「忠犬ハチ公像」だろう。

 

みんなで寄ってたかって触るものだから

鼻と前足はすっかりすり減っている。

 

実は、忠犬ハチ公は秋田犬で、飼ってからわずか1年しか飼い主を迎えに行ってない。

 

その飼い主と言うのが、当時の東京帝大農学部の上野英三郎教授だった。

 

(その当時、渋谷駅から2駅離れた駒場に農学部があった。用地交換で弥生に移った。)

 

たまたま教授会に出たところ、脳溢血で倒れ、そのまま亡くなった。

しかしそんな事情を犬のハチが理解することなど無く、

そのまま教授の帰宅する夕方になったら、渋谷駅に教授の御迎えに行っていた。

 

その還らない教授を迎えに行くこと、それから7年にも及んだ。

その間のハチの世話は、東大卒の獣医が面倒を見た。

(左耳が垂れているのは、野犬と戦ったから。ハチはずいぶんと大人しかったようだ。)

 

その姿が渋谷駅前で見られるようになって、ハチは随分といじめられたそうだ。

その姿を哀れに思った方が、朝日新聞にそのハチの話を「愛犬物語」として掲載した。

 

その甲斐合って、

全国的にその「忠犬ぶり」が全国に知られるようになったのだ。

 

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ところで、忠犬ハチ公像として渋谷駅前にある像、実は2代目なのだ。

初代の像は・・・金属供出に出されてしまいました。

そのいきさつは・・・と言うと

 

①ハチが死ぬ前に、像自体は完成した。

新聞に載って有名になったハチ

 

そうなると「教授からハチを託された」と語るオッサンが現われて、

駅前でモチを焼いて木像代を稼いでいた。

 

すると渋谷駅の駅長や渋谷区議会議員たちも

「ぼやぼやしていると、先に作られてしまう!」と大慌て。

 

急遽新進気鋭の彫刻家・安藤照氏にハチ公像の制作を依頼。

 

安藤自体も、「日本犬ハチ」を作品として出したいとして快諾。

 

1934年4月

②その「初代・ハチ公像」の落成式の際、

当の「ハチ公」も参加していた。

 

そして1年経った1935年3月8日

亡くなって冷たくなったハチが発見された。

そして3月12日

僧侶16人による読経やら、花輪25、生花200、香典18万円(現在だと1億6千万)という

人間さながらの葬儀、まさに国葬レベルで執り行われた。

 

やがて戦局も苦しくなった時に、ついにハチ公像も金属供出のお鉢が回ってきた。

 

③1944年

当時の、勇ましくも出陣の日の丸タスキをかけている写真が遺されている。

とりあえず戦争が終わるまで他所で保管することになっていたが

1945年8月14日、まさにポツダム宣言受諾の前日に

ハチ公像は溶かされ、

鉄道の車輪になっていた。

 

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終戦後に、ハチ公像の行方を捜した東京市職員は心底悔しがっただろう。

 

④「ハチ公像再建」は、戦後の暗い世相を吹き飛ばす好機と映ったのだろう。

 

しかし、心中穏やかではなかったことがある。

このGHQ(連合国総司令部)には「忠義の犬=軍国主義」と映るのではないか、と。

 

とりあえず稟議書を作成して、返事を待った

ところがすぐに「GHQに出頭せよ!」ときた。

 

怯えながらGHQに出頭した職員が、制服の将校の前に立つと、開口一番

「この稟議書にある犬の話は本当か?!」

「はい、本当です。」とつぶやくように言うと

「こんな素晴らしい忠義の犬がいたとは!詳しく聞かせてくれ!」

話はとんとん拍子に進み、GHQ内部で話題となりカンパが始まった。

戦後の財政難、物資不足もあり、これは大いに助かったそうだ。

 

⑤連合軍に敬礼されたハチ公像

安藤照氏は空襲で亡くなっていたが、息子の安藤士に制作を依頼

士は「父の作品の再現が出来る」と狂喜した、という。

 

そして終戦からわずか3年後の1948年8月15日

忠犬ハチ公像の除幕式が開かれた。

その列には、連合軍の将校達も参列し

敬礼をささげた、という。

 

(写真はオーストラリア軍の兵士)

 

 

⑥ハチ公像の物語はまだまだ続く。

そしてハチ公80回目の命日である2015年3月8日

東京大学農学部(弥生キャンパス)に上野英三郎教授とハチが一体となった銅像が完成した。

上野教授も嬉しそう。

ハチも嬉しそうだ。

 

「待ちきれずに、農学部・弥生キャンパスまで来てくれたのか!」

とは東大生の言葉だ。

 

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いかん。

 

話が脱線してしまった。

 

ハチ公の話はここまでにしよう。

次回はいよいよ天満宮に戻るよ!

 

続く