人を最高の賛辞で褒めるときに「天才」という表現がある。
「あなたは天才ですね!」
「素晴らしいですね!」
「羨ましいですよ!」
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それをアスリートや芸術家、芸人に言ってみたらどうか?
羽生結弦(フィギュァスケート)
イチロー
大谷翔平(メジャーリーガー)
故アイルトン・セナ(F1レーサー)
ビートたけし(コメディアン)
W・A・モーツァルト(作曲家)
皆、苦笑すると思うね。
だってそれは、彼らの「凡人には想像もつかない長期間の努力」を無視してるのだから。
羽生選手は、東日本大震災の影響でスランプに苦しんだ。
(そして被災者のために出来ることはスケートしかない、と自分に鞭打って練習して金メダルを取った)
イチローは、甲子園常連校の猛特訓を終えて、帰宅途中のバッティングセンターでさらに練習した。
大谷選手は、小学生の時から「夢はメジャーリーガー」と決め、そこに至るまでの練習を目標通りにこなした。
ビートたけしは、劇場の前座で漫才をやり、ウケなかったら、観客から缶やビンを投げつけられる恐怖に打ち勝って芸を磨いた。
セナは、わがままな天才レーサーと思われがちだが、裏でベンチプレスなどでレースに必要な強靭な肉体を維持し続けていた。
モーツァルトは5歳前から音楽の世界に入り、宮廷音楽家だけを目指して24時間、ピアノだけに打ち込んだ。
・・・その活躍だけを見て、彼らを「天才」と単純に称賛するのか?
彼らの中には、こう思う人が必ずいるからだ。
「俺は天才なんかじゃない!この道に打ち込んだ単なる努力の虫だ。」と。
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人を褒めること。
それ自体は悪いことではない。
しかし、そうやって単純に「天才」と褒める奴の心には、裏に陰険なものが隠れていないだろうか。
「お前は才能がある。ラッキーだな。」
「生まれつき優れてたんだろ。羨ましいぜ。」
「要するに親からの遺伝のおかげなんだろ。」
「あんたは大して努力しなくても、そこそこできるんだろ。」
そして
「俺が努力しても、あんたのようにはなれない。やっぱり不公平だよな。」
などと言って、自分の努力不足を慰めてはいないだろうか?
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天才、才能、遺伝、血統、長身、美人・・・・
人はや人を尊ぶときに、その先天性を尊ぶ。
努力、経験、勉強、見識、整形・・・・
人はなぜか他人の後天的かつ自発的な成果に関しては認めようとしない。
いや、むしろ無視し軽蔑し、かっこ悪いと決めつけすらする。
もしかしたら、そうやって
無意識に己の努力の至らなさを弁明し、努力放棄の口実にしてるのではないか?
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少なくとも受験というレベルでは、才能だの遺伝だのというものはどうでもいい。
この分野では99%、後天的努力によってすべてが決まる。
異論は認めない。
中卒両親の子が旧帝大卒
中卒シンママの子が看護師
学年下位の子がトップ校合格
旧帝卒両親の子が高校中退
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そういうものを間近で嫌というほど見てきた私としては、その信念はますます強固になってきた。
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遺伝だの人種だのというものの影響力も、ゼロだとは言わない。
ヒトゲノム(人の遺伝子)解析の結果、その影響は100%ある、という結果も出ている。
しかし、だ。
遺伝の影響がすべてだ、と認めてしまったら、それは人類の敗北と凋落そのものだ。
なぜなら遺伝子は変えられないからだ。
そうなれば、他人を称賛することは、そのまま自分の卑下につながり、コンプレックスとなる。
そして、その反動で、自分より劣ったものを軽んじて見下し、己のコンプレックスの代償とする。
まさにそれこそ、この世界の差別と戦争の原因そのものではないのか?
