キーエンス奨学金申請は、「一次選考」と「二次選考」に、別々の小論文が必要です。

 

2020年度「一次選考」小論文のテーマ(200字以上~400字以内)
「あなたの周りの人から、あなたはどのような人物と思われてるか。」

これは、2019年の第一回目の出題内容とほぼ同じです。

 

これは表面的に捉えれば、よくある、「他己分析」と言われるテーマです。
「自己分析」は、「自分のことをどう思っているか」が問われます。
しかし「他己分析」は「他人からどう見られている、と思っているか」が問われます。

 

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それにしても、テーマといい、文字数といい、短すぎると思いませんか?


これに対する最も安直な解答例は
「私は他人からOOOだと思われているが、私もそう思う。」
「また、OOOOと思われているが、それは違うと思う。」
「これからは、OOOOであることを目指し、さらに頑張っていこう、と思う。」

 

このようなことを、話を盛って400字書けばいい・・・

・・・・こんな中学生にも書ける様な問題を、キーエンス財団が出すでしょうか?

 

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実は、このテーマを第一期募集においてキーエンス財団が出した、と聞いた時に真っ先に思い出したのが「東京大学入試・現代文」です。

 

「東大現代文」と聞くと、「レゾンデートル」やら「二元論」やら「ニヒリズム」やら「文化相対主義」などという、難解な文化・哲学用語が出てくる文章が出ると思われますが、それはごく一部に過ぎません。

(特に1999年以前の「大問7つ」あったころから、2000年からの「大問4つ」になってからは、そういう問題は格段に少なくなりました。)

 

それ以上に、慣れない方には

「何をどう答えればいいのかわからない・・・」

というような問題のほうが多いのです。

それはズバリ「生と死」「人間としての存在」そのものを問いかけてくる問題です。

 

そのテーマの一つ

「他人からどう見られているか」

これの一例を紹介します。

 

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1997年東大国語・第二問

 

次の文章を読んで、傍線部についての解釈、意見を百六十字以上二百字以内で記せ。

 

 

見るためには対象と自分との間に距離を置かねばならない。これは明白な事実である。

しかし、見るという行為が、対象との物理的距離を心理的にゼロにする場合がある。

他者のまなざしが私に向けられ、そのまなざしを私がとらえたときがそれだ。

(中略)

見られているということは「まなざしを向けられている」ということだ。誰かにまなざしを向けられているということは、とりもなおさず、私が何がしら彼の価値評価の対象となっているということだ。そのときの私の反応は、まず羞恥か自負であろうが、他者のまなざしは即座に私の内部に組み込まれ、私が私自身に向けられるまなざしと同化するかあるいは少なくとも共存する。

(ここからが問題の傍線部です)

手っ取り早く言えば、見られていると意識すると同時に私は否応なしに自分を見てしまう。他者は私を写す鏡として現前するのである。

(傍線部はここまで)

(以下略)

 

                       

                           出典 多田智満子『鏡のテオーリア』

 

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人間は、仮に一人で(もしくは少数とだけで)生きているのなら、他者からどう思われようと知ったことではありません。

そういう田舎の住人と会ったときに、小綺麗かつ丁寧な振る舞いをしている都会の住人が「何て無礼な奴なんだ!」と思うのは当然でしょう。

他者からの視線に無関心になった途端、マナーや文化は消滅するのです。

 

社会的動物として生きている現代人は、そういう社会からの視線の中で生きているのです。

 

そしてその視線は「自分を写す鏡」として、自分に「残酷な現実」を突き付けます。

その鏡は、凝視すればするほど、「こういう風になりたい」という自分の想像を、ものの見事に打ち砕き、無能で醜悪な自分の姿に絶望すら感じることもあるでしょう。

 

でも、そう感じるのが普通なのです。

もし、これを行っても「私は完璧だ。ステキだ。」と思うような人は、それ以上の成長は望めません。

たかが18,19でそんなことを考えてるなら、それは欺瞞(ウソ)です。

(かつてそういう人に2人あったことがありますが、中身が空虚なため、何の魅力も感じませんでしたし、努力なしに彼(女)がエリートビジネスマンや芸能人などになれるはずもないのですから。)

 

乱暴な言い方に変えれば

キーエンス「お前、鏡を見ろ。どんな人間だ?」

と挑戦状を叩きつけているものかもしれません

 

その現実を突き地けられ、「こうありたい自分」と「リアルな自分」との乖離を冷静に捉え、そこから地道な努力を始められればいいんです。

スポーツ選手が、普段どれだけ血反吐を吐くような練習をしているか。

モデルや芸能人が、どれだけの時間を地味な美容や体形維持に費やしているか.

 

夢がロマンティックであればあるほど、ハードでリアルな努力が求められます。

 

軽い気持ちで気楽に書くこともできます。

心から血を垂らすような気持ちで、重く書くこともできます。

 

「あなたは何者だ。」これの返事を素直に書ければいいのです。

 

キーエンス財団のこの小論文。さすがの「良問」と言えるでしょう。

 

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ちなみに二次のテーマは

「大学生活で何をしたいのか。その先の将来、社会で何を、どうしたいのか」

この紹介は次回にいたします。

 

つづく