「彼ら は ローマ 人 で ある わたしたち を,有罪 の 宣告 も せ ず に 公 に むち打ち,しかも 獄 に 入れ まし た。それ を 今,ひそか に 出そ う と いう の です か。それ は なり ませ ん! 彼ら が 自分 で 出向い て 来 て,わたしたち を 連れ出す べき です」
ローマ16:37
パウロさん激怒事件について皆さんどのような印象お持ちですか?
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釈放とされるだけでは満足せず、めちゃくちゃ激怒してますよね。
クリスチャンらしくなくて、モンスタークレイマーだとか言おうと思えば言えなくもないとは思います。
右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい
がキリスト教の精神じゃないの?って思いませんか!?
「なぜむしろ害を受けるままにしておかないのですか。」
なんてパウロ 自身が教えてるのにやられたこと激怒してるっておかしくない!?
刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず
なんて教えてるパウロが、
手紙に恨みつらみ書いて各会衆に、そして全世界に読めるようにしてるし。
「みなさーん、聞いてー!
あいつらに不当な扱いされましたーー!
そしてな、謝罪もせずに釈放とか言ってきたんやで。ありえへんやろ!?」って。
世を利用している者はそれを十分に用いていない者のようになりなさい。
なーんて教えてるのに、
自分のローマ市民権なんて権利の話を持ち出して、世をめっっちゃ利用してるんじゃないの!?って。
自分の利を求めず
なんて教えているけど、せっかく仲良くなった牢番の身になって考えないの?上役とパウロに挟まれて可哀想だとか思わないの⁈
なんていうふうに批判しようと思えば幾らだって出来るしモンスタークレイマーだとか言えなくもないかも知れません。
でも、パウロさんはここは黙っている場面ではない!って判断したのでしょう。
引き裂くのに時があり,縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり,話すのに時がある。
愛するのに時があり,憎むのに時がある。戦いのための時があり,平和のための時がある。
伝道3:7-8
不当な扱いを放置していたらいいことありませんから。
花屋敷会衆事件でも、「大人しくその決定を甘んじて受け入れれば2年か3年で長老に復帰できただろうに、裁判を起こすなんて」と仰るお方もおられますが、私自身は黙っている時では無かったと確信しています。
こんなめちゃくちゃな裁きを放置していたら組織も腐る一方ですから。
また私がバプテスマ無効請求を出した時の事についても後悔は有りませんし、" そうすべき時だった " と確信しています。
背教的であるとして呼び出されていたので、背教者認定を受けるのか?それとも "真の悔い改め" を示すのか?という場面だったからです。
私はどちらもダメだと思いました。
もしかすると、審理委員会で「私が悪かったです」と超低姿勢で臨めば排斥を免れれる場合も有ったかも知れません。でも組織に残りたいとか排斥が怖いとかそういうのではありませんでした。
ほぼ100%協会の命令で排斥にせよって審理委員会に呼び出されていたのに、
「組織が言って欲しくないことを言ったじぶんが悪かったです。罪を犯しました。悔い改めるので許してください」なんて言ってはいけない場面でした。
そんなことで屈したら隠蔽体質をエスカレートさせるだけですし、長老たちにそんな隠蔽癖をさらにつけさせるだけですから。
またただ背教者として排斥になっても「あいつは悪行者だった」で終わって死人に口無し状態。これまた隠蔽体質を助長してしまう。
排斥になった方が良かった論もあるかもしれません。
そういう潔い姿をみて後々長老の一人ぐらいは組織のやり方のおかしさに耐えられなくなるかもしれません。
でも今までのエホバの証人の歴史から判るように「エホバの証人でなくなったあの人は悪い事したんでしょ」で終わりでほとんど誰も気にしません。
元統治体成員のレイモンドフランズ兄弟ですらそんな感じだったので一般成員なんてもっとカスの悪行者扱いでおわり。彼のような影響力のある人はその後体験談を執筆し多くの人の助けになりましたが、大抵はそんな影響力もなく消されておわり。
じゃあどうするか?と考えていたのが、バプテスマ無効請求でした。
https://ameblo.jp/wt-nihonshibu/entry-12604239265.html
普通は排斥になって終わりですが、こちらが先に制裁なく辞めさせろと言うことによって組織側はただ除名したいだけ、つまり「あなたの集会の参加はお断り」というものではないことを浮き彫りに出来ます。
つまり隠蔽のために排斥したかったという証拠を掴んだことにもなります。
人権侵害の証拠です。
口封じの為の卑劣な行為であることや
見せしめ、嫌がらせ的要素がふんだんに含まれることを浮き彫りにさせなければ意味がありませんから。
また、会衆内で「あの人は悪い事したから接しないように」なんてなんだかよく分からない噂を長老が流したとしても、じゃあなんで排斥にならない?なんか都合悪いからコソコソと評判落とすようなことを言ってる?って気づく人も出てくると思うので意味のないことでは全然ないと思います。
宗教組織には除名の権利はありますが、
排斥制度というのは除名という要素を超えた人権侵害だというのは排斥になってから訴えてもなかなか伝わりにくいという欠点も有りますので先に行動する必要がありました。
パウロ さんのハナシから発展させましたが、そうしなきゃダメな時も有るってお話しでした。