先日、話の流れで、「尊敬する人は誰!?」みたいな話題になりました。
アインシュタインや松田優作に手塚治虫、ベートーベンや三島由紀夫、孔子や雑賀孫市など、色んな名前や意見が飛び交いました。
僕にとっての「尊敬する人」っていうのは、得てして「有名にはなれない人達」で、僕はその場では「尊敬する人」についての自分の意見は言え無かったんですが、代わりにソレに近い感覚で好きな人達の話、「敬愛している人達」とでも言うんでしょうか?大袈裟に言えば、僕の中のカリスマ達の話をしました。
ジョン・レノンやボブ・マーリーにシド・ヴィシャス、レオナルド・ダ・ヴィンチにチェ・ゲバラやネルソン・マンデラ。白州次郎に黒澤明。「ジャングルブック」のモーグリ少年や「かもめのジョナサン」のジョナサンもその中に入ります。
ジャンルもバラバラで、僕自身そんなに詳しく知らないですが「自分の生き方が出来た人達(と、かもめ)」という感じがして大好きです。
ここ数年は、ガンジーやキリストのような「おそらく優しくてイイ人なのに、不幸な人生っぽい」という生き方にも少し憧れている部分があります。
ただ、愛や平和とかの、僕にとってはデカすぎてあまり現実感のない話は置いといて、「ただの優しい人として生きる」という意味では、カリスマ性が邪魔になりそうな気もします。
「それってホンマに優しさか~!?」
って状況を生み出すコトになりやすいと思うんです。
カリスマ性ってやつは。
どう生きたいかにもよりますが、本当に優しければ、「ついて来ようとする者が出て来そうな場合」や、「異性からの恋心」も含む「愛されそうになった時点」でその人や場所から離れるべきであるような気もします。
例えば、「多数を助ける為には少数の犠牲は止むを得ない」ってのは、現実的では有るけれど、あまり美しくない考え方な気がする。
そんなワケで「尊敬する」って感じとはちょっと違う。
自分のコトで言えば、乱暴な言い方をすると、やっぱり知らない人はどうなったってイイし、知っている人達には幸せであって欲しい。
だから知り合いに、(「対人恐怖と踊る神」の記事でも書いたようなフレーズですが…)自分が原因で迷惑をかけてしまうようなコトや、傷つけてしまうようなマネはしたくない。
よっぽどの自信が有るなら別ですが、「みんなに愛される」というのは、若干「優しさから遠ざかる」というコトである気がします。
そんなわけで、僕にとっての「尊敬する人」ってのは「優しい人」で、「僕の思う優しい人」が居るとして、そんな人は当然、数人の友達が居るにしても、何か大事を起こしたりするほどのコトはせず、無責任に大勢の人達に夢を
見させて有名になるコトも無いので、「尊敬する人」というテーマの話題で名前を上げたとしても、誰も知らないし、説明するのもおかしいので、僕はその場
では言えなかったというワケです。
「尊敬出来る人」とは、そうそう会えないけど、意外と身近にいたりするかもよ。