チョップダイゴな日々 -31ページ目

チョップダイゴな日々

ダラダラ遊んだり、シャカリキ遊んだりの自己チューブログでやんす。
チョップスティックの話やら、ちょこっと旅に出てたトキの話もちょこちょこっと書いたりしておりもす。
ヨロシクでがんす。

先日、話の流れで、「尊敬する人は誰!?」みたいな話題になりました。

アインシュタインや松田優作に手塚治虫、ベートーベンや三島由紀夫、孔子や雑賀孫市など、色んな名前や意見が飛び交いました。


僕にとっての「尊敬する人」っていうのは、得てして「有名にはなれない人達」で、僕はその場では「尊敬する人」についての自分の意見は言え無かったんですが、代わりにソレに近い感覚で好きな人達の話、「敬愛している人達」とでも言うんでしょうか?大袈裟に言えば、僕の中のカリスマ達の話をしました。


ジョン・レノンやボブ・マーリーにシド・ヴィシャス、レオナルド・ダ・ヴィンチにチェ・ゲバラやネルソン・マンデラ。白州次郎に黒澤明。「ジャングルブック」のモーグリ少年や「かもめのジョナサン」のジョナサンもその中に入ります。

ジャンルもバラバラで、僕自身そんなに詳しく知らないですが「自分の生き方が出来た人達(と、かもめ)」という感じがして大好きです。


ここ数年は、ガンジーやキリストのような「おそらく優しくてイイ人なのに、不幸な人生っぽい」という生き方にも少し憧れている部分があります。


ただ、愛や平和とかの、僕にとってはデカすぎてあまり現実感のない話は置いといて、「ただの優しい人として生きる」という意味では、カリスマ性が邪魔になりそうな気もします。

「それってホンマに優しさか~!?」

って状況を生み出すコトになりやすいと思うんです。
カリスマ性ってやつは。


どう生きたいかにもよりますが、本当に優しければ、「ついて来ようとする者が出て来そうな場合」や、「異性からの恋心」も含む「愛されそうになった時点」でその人や場所から離れるべきであるような気もします。

例えば、「多数を助ける為には少数の犠牲は止むを得ない」ってのは、現実的では有るけれど、あまり美しくない考え方な気がする。

そんなワケで「尊敬する」って感じとはちょっと違う。

自分のコトで言えば、乱暴な言い方をすると、やっぱり知らない人はどうなったってイイし、知っている人達には幸せであって欲しい。

だから知り合いに、(「対人恐怖と踊る神」の記事でも書いたようなフレーズですが…)自分が原因で迷惑をかけてしまうようなコトや、傷つけてしまうようなマネはしたくない。

よっぽどの自信が有るなら別ですが、「みんなに愛される」というのは、若干「優しさから遠ざかる」というコトである気がします。



そんなわけで、僕にとっての「尊敬する人」ってのは「優しい人」で、「僕の思う優しい人」が居るとして、そんな人は当然、数人の友達が居るにしても、何か大事を起こしたりするほどのコトはせず、無責任に大勢の人達に夢を 見させて有名になるコトも無いので、「尊敬する人」というテーマの話題で名前を上げたとしても、誰も知らないし、説明するのもおかしいので、僕はその場 では言えなかったというワケです。


「尊敬出来る人」とは、そうそう会えないけど、意外と身近にいたりするかもよ。