延命治療の中止と重業 | テーラワーダ仏教とヴィパッサナー瞑想実践

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テーラワーダ仏教の教えを学び、ヴィパッサナー瞑想実践やアビダンマについてのブログです。

質問

ブッダの教え上級レベル購入読ませて頂きました。私の母、心肺停止で救急搬送され心拍再開するも脳死状態、人工呼吸器と昇圧剤使用中。母は生前延命治療望んでおらず主治医より呼吸器を外すことはないとして昇圧剤の中止を提案された場合、子は重業罪を負うことになるのでしょうか?ご多忙のところ誠に、恐縮ですがお教え頂ければ幸いです。

 

答え

テーラワーダ仏教で説く死とは今生での心の生滅の連続が途絶えて最期の心である死心が滅した時です。その後、その生において心が生じなくなり、煩悩が残っていれば間を置かずにまた次の生で心の生滅が始まります。

 

脳死状態のときに仏教的に死んでいるかは神通を持っている人しか判断できませんが、心は脳に依存して生じているのは間違いないでしょうから、依存する脳が再起不能になれば心もまた生じることもなく、今生での死と判断しても良いと思います。

 

アメリカで布教していたシーラナンダ長老が母や父を殺すという重業になる可能性があるので延命装置などの停止をしない方がよいとアビダンマの講義でお話ししていました。

 

普通の殺生の場合、

①対象が生きていること、

②殺そうとする意志、

③実際に行動、

④結果死ぬ

という条件が揃うと悪趣に落ちる業道になりますが、そろわなければ普通の悪業となります。

しかし、重業の場合は殺そうという意思がなくとも、生きている母や父を自分の行動によって結果的に死ぬことになれば重業になると解釈されています。

 

ですから私の考えは「重業になるのが心配なら延命は止めない方が良い」です。

 

重業になる可能性を少しでも取り除きたいなら医師の勧めや本人の希望は無視して医療行為を続けてもらうしかありません。

 

既に医療行為を止めてしまった場合は、神通がないので実際に重業が成立しているかどうかは分かりませんし、過去をやり直すことができませんので

「仏教的にも既に死んでおり医療行為を中止したとしても問題なかった」と考えましょう。

 

「もしかして?」と心配し後悔すればするほど不善心が生じますので、

この問題は解決したとして戒定慧の実践をして功徳を積んだが良いでしょう。