この度実家の墓じまいをすることになりました。


 高齢になった父と一緒に暮らすことになったのでお墓だけ田舎に残すわけにもいかないとみんなで決断しました。


 納骨堂という方法も考えましたが、後々のこと、そして父の踏ん切りがついたことなどから海洋散骨をしようということになりました。


 母が亡くなって20年、ほぼ毎日墓参りをしてきた父ですがやっと気が済んだという感じです。


 はっきり言って火葬後のお骨には意味がありません。骨に意識があるわけでもなく、その入れ物である墓にも魂は住んでいません。

 お墓も仏壇も供養という意味はないとわかったら色々な儀式、形式というものは無くなっていくと思います。


 子供の数か減ってきたり、結婚しない人が多くなった今、墓をどうするかということは切実な問題になってきています。


 今回は散骨という形を取りますが、そもそもお骨を拾うということをしなければ、お墓も納骨堂も、散骨という儀式さえもいらないのです。(今はわざわざお骨が残るように火葬しているそうです。)


 以前は土葬でしたが、明治以降、火葬すべしという法律ができ今の形になってきています。お骨を拾うということも時代の流れ、そして人々の意識の変化で変わっていくのではないでしょうか。


 霊的真理を知った今、地上の宗教はどれも的外れで、ある意味有害で本来の宗教の使命を果たしていないということがわかりました。

 

 宗教の本来の使命は人類の霊的成長を促すということです。しかしほとんどの宗教がその使命を果たしておらず、私たち日本における仏教は先祖供養が主であり、霊的成長とは無縁な方向に進んでいます。


 はっきり言って地上の宗教は霊的無知から間違った教えを説き、組織を作ることによってエゴを増大させ悲劇と不幸をうみだす最大の原因になってきました。


 これから人々が霊的真理を知るようになることで地上の宗教は不必要なものになっていくはずです。

 それにつれ、葬式や埋葬の方法も変わっていくのではないかと思います。



📘 続スピリチュアリズム入門


 「いまだ幼くオモチャが必要なうちは、それで遊べばよい。が、やがて成長してそれが不必要になれば自ら捨てるようになる。」 これが霊界人の考え方です。


  葬式とは本来、重い肉体を脱ぎ捨てて霊界へ旅立つ人間を見送るための「喜びのイベント」です。あの世へ出発する人間に対しての「はなむけの式・祝福の式」なのです。しかし現在の地上世界での葬式は、死を嘆き、死者を悼(いた)むセレモニー(儀式)になっています。他界した本人が新しい世界での生活を喜んでいるのに、死別を嘆き悲しむ葬式の様子は、霊界の人々にとっては滑稽(こっけい)としか言いようがありません。別れの儀式としての葬式は無意味なものであり、その方法や方式にとらわれることは全く馬鹿げたことなのです。


 遺体は、古くなって脱ぎ捨てた衣服のようなもので何の価値もありません。未練を持つようなものではありません。墓は単なる古着の捨て場・骨の捨て場にすぎません。したがってどこに墓をつくろうが、どのように葬ろうが全く構わないということなのです。


(なお本の掲載についてはスピリチュアリズム普及会の許可をいただいて掲載しています。)