今月(8月)、65歳になりました。高齢者の仲間入りです。

 高齢者の自覚はまだありませんが、若いつもりでいても、確実に体は衰えていきます。

 目や耳の衰え、筋肉の衰えなど意識しないうちに進行しているようです。

 そしてこのくらいできると思っても出来なくなることが増えていきます。


 ある知人がつくし取りに行った時、小さな小川があり、飛び越えられると思ったのに一歩の幅が少し足りず落ちてしまい怪我をしたと聞いたことがあります。

 足をしっかりあげて歩いているつもりなのに躓いたり転んだりするという話も聞きます。

 このできるつもりという心と体のギャップはこれからますます大きくなっていくのだと思います。

 この心と体のギャップはなぜ起こるのでしょう。

 

 そもそも人間は霊体と肉体の二重構造になっています。

 霊体が人間の本体であり、肉体は地上生活を送るため神様からいただいた道具ということです。 霊体は老いることなく成長しようとする本質があり、肉体は老化しいつか朽ちてしまいます。

 この根本的に性質の違う二重構造のために人間はさまざまなことで葛藤しますが、元々違いがあるのが当たり前なのです。成長しようとする霊に対し、肉体の方が鈍重になりついていけなくなるということでしょう。


 肉体の老化は自然なことであり、病気と同じく苦しみの一つでもあります。

 長生きをすればするほど肉体の老化の現実は大きくなり、それを受け止めて乗り越えていかなければなりません。


 しかし見方を変えると歳を重ねていくことも実はとても素晴らしいことだと思います。

 肉体の力が衰えてくると肉体の本能的な欲も減少して霊体の力の方が大きくなっていきます。だんだん霊主肉従の状態になっていくということです。

 老化は霊的覚醒に至るきっかけとなり、また肉的欲求を少しずつ削ぎ落とし身軽に死を迎えるために必要な過程かもしれません。


 地上に生まれ、生きる目的は霊的成長すること、この一言に尽きます。

 歳を重ね、死の瞬間まで、そして霊界においても霊的成長の道は続きます。

 定年退職したから後は遊んで暮らすなんて思っていたら、ただの時間潰しの人生で終わってしまいます。

 どうか残りの人生、霊的真理を求めて欲しいのです。

 地上に生きているうちに、霊的真理を手にすることの重要性をわかって欲しいのです。 

 せっかくこの地上に生まれ、生きるチャンスをもらったのに、死んで霊界に帰る時、何も持たずに帰ってしまっていいのでしょうか。

 お金や物や名声など持って帰れないのです。持って帰れるのは成長した魂だけなのです。

 残り少なくなってきた地上人生、無駄に過ごしたら勿体無いです。


 私も人生の残りを意識する年になり、これからまだまだ他人(ひと)のために生きることができるよう元気に頑張りたいと思っています。


 65歳という節目に思ったことでした。


📘 シルバーバーチの教え 上

 私たちとしては、永遠の霊的真理をお教えすることしかできません。なぜなら霊的真理だけが、物的なものが崩壊しチリとなったあとも存在し続けるからです。物的なものだけに目を奪われている者は大きな過ちを犯しています。幻影を追いかけ、永遠の実在を忘れているからです。霊的真理といっても至って単純なことばかりです。それなのに地上界の人間は、いまだに真理を理解していません。


(本の内容につきましては、スピリチュアリズム普及会の許可を得て掲載させていただいております。)