良いドラマだった。

それはエンターテイメントとしても言えることだが、人間模様が見事だった。

 

しかし、もしかしたら最終話に不満を持っている人がいるかもしれない。

私も最初は、2人が分かれた意味が分からなかった。

だが、少し考えてみると非常に面白く、納得のいく考察(個人的だが)が生まれた。

 

勝男と鮎美はお互いを理解できずに1話で破局した。

勝男は鮎美に振られた理由を考え、自分を見つめ直し、変わっていく。

鮎美も本当の自分を知って、自由に生きる楽しさを知っていく。

この両者の人間模様が実に楽しい。

 

自分を見つめ直した2人は、自分の問題点に気づいて、相手への理解も深めていった。

互いを理解し合った2人が結ばれることを多くの人が確信していただろう。

しかし、2人は最終話で実際に復縁した後に完全な破局を選ぶ。

この選択について考察してみた。

 

そもそも2人は理想の相手だと思って付き合った。

しかし付き合う中ですれ違いが生まれて破局した。

その後、2人は生まれ変わって復縁する。

 

では、この生まれ変わった2人は理想とする相手をどのように考えるようになったのか?

懸命に自分と向き合って、変わってきた2人だが、この2人の理想も変わってしまったと考えられる。

勝男は好きだと思って鮎美を追いかけ続けたが、料理が好きになり、強がらず女性と向き合えるようになった勝男にとって、もはや鮎美は理想の相手ではなくなっていたのだろう。

鮎美は頼りになって将来性のある勝男を追いかけていたが、自立した女性へと成長した鮎美にとって、もはや勝男は理想の相手ではなくなっていたのだろう。

 

もちろん、ここまで向き合ってきた2人は誰よりも理解し合っている。

お互いが理解者として、これからの人生を応援していくが、それは結婚相手としてではない。

この先、勝男は南川のような料理が出来ない女性のことも愛せるだろう。

鮎美は、ミナトのように結婚にしがみついていない男性のことも愛せるだろう。

 

以上が私の考える本ドラマの考察である。

 

 

楽しませてもらったが、相手を愛することについて考えさせられた。

 

ボアズは言った。「娘さん、主があなたを祝福されるように。あなたが示した、今回の誠実さは、先の誠実さにまさっています。あなたは、貧しい者でも富んだ者でも、若い男の後は追いかけませんでした。

ルツ記3章10節

 

これは、聖書のルツ記の一幕である。

若い女ルツが、年配の男性ボアズと結婚するのだが、彼女はルックスや年齢で男性を選ばなかった。

彼女は聖書のことばに従った。

つまり、聖書に書かれていることを大切に相手を愛したのだ。

 

この表現は、少し分かりにくいかもしれない。

別の言い方をすれば、神が人を愛するように、人を愛したということになる。

その先に見えてくる一つの形が結婚である。

人はコンディションや環境によって愛せなくなるが、神の愛はいつでも完全である。

その愛を目指すのが、聖書の示す結婚である。

 

ボアズも聖書を大切にしていた。

一緒に神の愛を目指して結婚できるのであれば、それは本当に素晴らしいことだと思う。

神のように愛せない自分を知り、それでも神の愛を知っていることを喜ぶ。

そのような結婚が出来ることはクリスチャンの喜びだろう。

私も見失わないようにしたい。

 

神は条件や見た目で人の愛し方を変えたりしないし、そこに強弱もない。

そして、その愛をこの世で実行されたの方こそがイエス・キリストだ。

そのイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスが近づいている。

 

真に人を愛することを知るクリスマスにしたい。