私はレッテルを貼られることを嫌っています。
「野球部だから」「東京生まれだから」「一人っ子だから」そのように一括りにされると、何か勝手に分かられて、分類されてしまったような気持ちになります。
それでいて、人にはレッテルを貼ってしまう人間だとも思うんです。
「あの人は〜だから」と分類して、その人を理解しようとしてしまいます。
なんと自分勝手な人間なのかと思います。
これがクリスチャンの中でも起こってしまう事があるのは悲しいことです。
クリスチャン同士で、「あの人は〜派だから」「あの人は〜っていう団体だから」と一括りにしようとする。
例えば、「福音派」という言葉があります。ある国の大統領も「福音派」です。
私は福音派と呼ばれる教会に属していますが、その大統領と同じ政治思想があるわけではありません。
だからといって「あの大統領の信仰は偽物だ」などとは言いません。彼もクリスチャンです。
ただ、私と彼の物の考えは全く違います。人に対するアプローチも全く違います。
それでもクリスチャンのアイデンティティはキリストにある、という点においては一致していたいと思うんです。
聖書でイエス様はこのように言います。
聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。
使徒の働き 1章8節
これはイエス様がこの世で最後に語られたことばです。
クリスチャンはイエス様のことを証する人として生きていきます。
もし、クリスチャンを一括りにするのなら「いつもクリスチャンってイエス・キリストを証してるよなあ」と言われたい。
「クリスチャンって固いよなー、古臭いこといってるよなー」などと言われるのは残念なことです。
更にクリスチャン同士で「あの派は〜だよなー」と分類したり、丸ごと一括りにするのであれば、もっと残念なことです。
私は時に「クリスチャン」「福音派」と名乗ることで一括りにされ、偏見を押し付けられることがあります。
でも、私はその偏見に流されずに、クリスチャンとしてイエス様を証していきたいです。
イエス様が多くの偏見の中で生きられたように。