クリスチャンは良く、一緒に教会へ通っている人のためにお祈りします。

「病気が良くなりますように」

「仕事が上手くいきますように」

 

〜祈願的な祈りを捧げることがあります。

そのような祈りは全く問題ありません。神様には何を祈っても良いのです。

ですが、そのように祈っている人が聖書にどのくらい登場するのかと言うと、あまり多くはありません。

 

誰かのために祈るときに、クリスチャンは何を祈ったって構わないけれども、まず何を祈るべきか。

それは、目の前の大切な人がイエス様の愛に生きることが出来るように、ということだと思います。

使徒パウロは次の言葉を残しています。

 

 

「私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いに対する愛を、またすべての人に対する愛を、主が豊かにし、あふれさせてくださいますように。 」テサロニケ人への手紙第一 3章12節

 

 

パウロは迫害に苦しむテサロニケの人々、つまり信仰の友に手紙を送りました。

その祈りは、もちろん彼らが励まされるものでしたが、パウロは何よりも熱心に彼らがイエス様の愛に生きていけるように祈りました。そして、そのイエス様の愛が全ての人に増え広がっていくように祈りました。

 

私たちは神様に何でも祈ることができます。

ですが、イエス様の愛が全世界に増え広がっていく以上に素晴らしいことは無いと思うのです。

無条件に、打算抜きに私たちのために死んでくださったイエス様。

その愛を私たちが実践できるのであれば、それは本当に素晴らしいことです。

そして私の友が、家族がそのように歩んでいるのであれば、本当に嬉しいこと。そこで伝わった愛が、私の知らない人にまで増え広がるなら、言葉にできない喜びです。

 

理想論に感じられても良い。

そのことを今日、私は自分の愛する友のために祈りたいと思います。