ゴルフと音楽と人生に奮闘する日記
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私の好きな音楽(番外編)

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《クラウディオ・アバドの死を悼む》


皆さんこんばんは。


ボルトです。


昨年の暮れから新年にかけて、私の大好きな音楽家の訃報が続いています。


大瀧詠一さん、
やしきたかじんさん…


そして、昨日…
現役では最も偉大な功績を残した指揮者の一人である
クラウディオ・アバド氏がお亡くなりになりました。


享年80歳。


心より哀悼の意を表します。







とても好きな指揮者でした。


ベーム、カラヤンといった偉大な指揮者亡きあと…
ウィーンフィル、ベルリンフィルの二大オーケストラを牽引したのは、紛れもなくアバド氏です。


イタリア出身のアバド氏は、
同じイタリアの
リッカルド・ムーティ氏と比較されることもよくありました。


私の印象では…
几帳面なムーティ氏に対して
アバド氏は人間的であり、緻密ながら常に歌のある音楽。


私が生涯で初めて購入した交響曲のレコードは…
モーツァルトの交響曲40、41番だったのですが、
演奏はアバド&ロンドン響のものでした。


ロンドン響との共演では…
メンデルスゾーンも好き。


その他、
ウィーンフィルとのベートーヴェンや
ベルリンフィルとのブラームス、マーラー、チャイコフスキーなど
印象的な演奏が数多くあります。


ウィーンフィルで言えば…
ニューイヤーコンサートへの二度の出演も忘れられません。


単に気品のあるウィンナーワルツではなく…
そこに明るさと躍動感を加えたアバド氏ならではのシュトラウスは、ニューイヤーコンサートを長年聴いてきた私にとっても、特に心に残っています。


癌により胃を全摘出したのちは、マーラー室内管弦楽団やモーツァルト管弦楽団など…
巨大オケ以外との仕事も増えましたよね。


器楽奏者の場合、高齢になるとどうしても技術的な衰えが隠せなくなりますが…
指揮者は、体力が衰えた高齢であっても、オケとの阿吽の呼吸により独特の名演を生み出すことがよくあります。


若い指揮者による名演とは、種類が少し違うのです。


あと数年…


もしも、アバド氏が生きていてくれたらと思うと…


とても残念です。


勿論、ここ数年のアバド氏の功績は高く評価されています。


しかし、数年後には更に違う領域を魅せてくれたのではないか。


そんな気がするのです。


昨年、ルツェルンとの来日が中止になったと聞いて…
『こんな日が来るのでは』と危惧してはいましたが…









慎んでご冥福をお祈りします


合掌

私の好きな音楽10

《ロベルト・シューマン》


皆さん、こんばんは。


『私の好きな音楽』の時間です。


年も明け、ますます冬本番といった風情。


今年の冬も寒いですね。


皆さんは、寒い冬をどのように過ごしていらっしゃいますか?


冬の寒さに滅法強いボルトは体調も頗る良く、新年に入っても食べる食べる(笑)


この時期は、
忘年会→正月→新年会と胃腸を酷使していますよね。


風邪と合わせて、胃腸の疲れにはお気をつけ下さいね。




さて、
今回は久しぶりにクラシック音楽関連の記事。


ちょうど年も明けましたので、私が常々愛聴しているシューマンのピアノ曲にしてみました。


では、早速…
と行きたいところなのですけれども、
シューマンという作曲家を語るには、様々な意味で関係のある他の作曲家と対比させながらでないと、話を進めるのが中々難しいのです。


そこで今回は、何人かの作曲家の話を絡ませながら…
『シューマンのピアノ曲 序章』と題して、シューマンの特にピアノ曲における特徴を書いてみることにします。




ロベルト・アレクサンダー・シューマンは1810年ドイツに生まれました。


同年代には、同じ1810年生まれにショパン…
1811年生まれにはリストがいます。


二人が共に、ピアノ音楽の作曲に長けた人物であったことが、シューマンのピアノ音楽に大きな影響を与えたのは間違いありません。


そして、忘れてはならないのが、尊敬するベートーヴェンの存在。


これらの人物が、シューマンのピアノ曲に対しどのような影響を与えたのか?


それぞれの人物を紹介しながら、話を進めて参りましょう。


では、まず初めにショパンから。




フレデリック・フランソワ・ショパンは1810年ポーランド生まれの作曲家。


『喜怒哀楽』という人間の感情、そして心の奥底に潜む微妙な情感を音符に載せることに関しては、本当に天才的です。


ショパンは生前、こんな趣旨のことを言ったそうです。


『ピアノを演奏するときは、主題(メロディー)を最大限歌わなければならない』

『しかし、余計な歌い回しは厳禁であって、演奏における無駄は徹底的に削ぎ落とすことが大切である。』


これは現代の演奏を論じる風潮そのままで、ショパンは別に特別な事は言っていないと思われる方も多いでしょう。


しかし、私はそんなに単純な事ではない気がします。


ならば、ショパン何故そんなことを言ったのか?


ショパンは自身の音楽が、
演奏者の弾き方によって感情的に聴こえ過ぎたり、少し大袈裟に聴こえたりする事が解っていて…
それを恥ずかしいと感じていたのかも知れません。


勿論、その特徴が自分の音楽における一番の素晴らしさなのは解っていたでしょうけれど、
それが理由で上のような事を言ったのだとすれば…
ショパンのピアノ音楽を演奏する上では、大きく分けて二つの解釈が存在することになります。


ひとつは、ショパンが言ったと言われる言葉を素直に受け取り、無駄な歌い回しを極力排除して演奏すること。


もうひとつは、上記ショパンの言葉は真意ではないとの見地から…
もっともっと感情を解放して演奏するという解釈です。


私は、後者の方がショパンの本当の姿により近づける気がします。




例えるならば、ホロヴィッツとか、アルゲリッチとか、フランソワとか…
はたまたコルトーとか、アラウとか。


これらが、後者の解釈へ近づこうという試みがなされている、そんな演奏の代表例。


正しいとか間違っているとかではありません。


如何に、作曲者の真意に近づこうとしたか。


ここが、最も大切です。




私は以前、『作曲者の心へ寄り添う演奏』として…
ツィマーマンのショパンピアノ協奏曲を挙げました。


この演奏が、この曲最高かどうかは判りませんが…
彼の尋常ならざる作曲者への思いがひしひしと伝わる特別な演奏だと、私には聴こえます。


この演奏に関しては、デフォルメがどうだとか色々と言われていますが…
『それはちょっと違うんじゃないの?』と思うんですよね。


この演奏の内容がどうかと言う事と、演奏が好きか嫌いかは全く別の話です。


人が他人の心の奥底へ近づこうとする時には…
先入観を出来得る限り排除して、自らの心も最大限に解放しなければなりません。


現代の、作曲家や演奏家に対する評価の仕方は…
常識(教育)とか知識とか、様々な情報に支配され過ぎてしまって、『人物そのもの』には焦点が当たっていないような気がするんですね。


私にとっては、とても残念な傾向です。




さてさて、『話は完全に脱線したのでは?』と思われたでしょ?


脱線はちょっとだけですよ?(笑)


シューマンはですね、私が思うにショパンのピアノ曲における上記のような二面性にいち早く気づいて、そして憧れていた。


そして、『どうやったら、あれほどまでに人間の情感を音符の上に載せることが出来るんだ』と悩んだ。


シューマンのその憧れと苦悩が、二人の音楽に類似した香りを与えています。


つまり、シューマンの音楽は
ショパンの音楽に少し似てしまった…


ということです。


何が似ているのかは、皆さん自身で探索してみて下さい。


ひとつだけヒントを!


ショパン ピアノソナタ 第1番の第2楽章です。




では、次にベートーヴェンへ話を進めましょう。


ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンは1770年ドイツに生まれた作曲家。


ご存知の通り、彼が生まれて以後に生まれた作曲家の多くは…
ベートーヴェンを尊敬し、目標にしていました。


言わずと知れた大作曲家であり、歴史上最も偉大な作曲家の1人でしょう。


勿論シューマンにとっても、最も尊敬する人物であったことはおそらく間違いありません。


そして、ベートーヴェンのような音楽を作り上げようと奮闘した筈です。


ですが、結果的にシューマンのピアノ曲は…
ベートーヴェンのそれとは、随分違うものになってしまいました。


では、何故違ってしまったのか?


大雑把に分けると、二つの違いが見えてきます。




ひとつは、必然性と確信性の違いです。


ベートーヴェンは、楽曲の作成に関してかなり悩んだと言われますが…
悩みつつ、ひとつひとつ納得しながら進めていった。


つまり、出来上がった楽曲には相当な自信と確信があった。
そう私は推察します。


だから、楽曲について批判的な意見があっても感情的にはならず、客観的な見地から必要とあらば素直に手直しすることが出来た。




シューマンはどうでしょうか。


彼の楽曲は、客観性から逸脱して主観性に流されている面が多分にある。


別にベートーヴェンの楽曲に、主観的な面が無かった訳ではありません。


しかし、
『この曲のこの部分は、どうしてこのように作曲したのか?』と尋ねられれば…
すぐさま具体的な説明が出来、しかも聞き手を納得させるだけの客観性も備えていた。


それが、ベートーヴェンの音楽です。


それに対して、シューマンの楽曲には無駄が多く…
ベートーヴェンのそれのようには説明のつかない面を沢山含んでいます。


ですが、客観性という意味ではベートーヴェンの楽曲には遠く及ばないものの…
その説明のつかないところが、今ではある種の“神秘性”のように捉えられ、
彼の楽曲の大きな魅力になっていることも忘れてはなりません。


二人の楽曲における美しさについて言うならば…
ベートーヴェンのそれは、彼の信念から生まれた美しさ、対してシューマンのそれは、その時々の感情から生まれた“一期一会”の美しさ。


そんな表現が当てはまるでしょうかね?




次に、二人のピアノ曲の違いにおけるもうひとつの部分。


それは、ベートーヴェンがピアニストとしてヴィルトゥオーゾだったのに対して…
シューマンは、手の怪我などもあって決して名手とは言えなかったという点です。


つまり、シューマンの楽曲は…
ピアノという楽器を最大限に活かすという見地からみても、無駄な部分、例えば必要以上に音の数が多かったり、
無理矢理、演奏の難易度を上げようとしているような傾向があるんですね。


これは、想像するに…
ベートーヴェンと比べて、ピアノ演奏に対する理解が不足していた為。


確かに、ピアノ曲としての完成度はベートーヴェンのそれと比べて優れているとは言えませんが…
シューマンの作品には、
『同じ人間の中に大人と子供が同居するアンバランスさと危うさ』といった
秩序とは違った、純真な感覚が鍵盤の上に表現された面白さがあるように思います。


子供と言うものは、『無駄を無駄とは思わず』取り敢えず何でもやってみるものです。


ピアノの名手に成りきれなかった
つまり、ピアニストとして大人に成長出来なかったシューマンにとっては、
何か暗闇に一人で踏み込むような、好奇心と冒険の世界こそピアノ音楽だったのではないでしょうか。


まさに、“解る”ではなく“感じる”世界。


それが、シューマンの音楽なのかも知れません。




さて、最後にもう一人…
フランツ・リストとの関連性については、簡単に触れておきます。


リストは『ピアノの魔術師』等と評される通り…
ピアノ曲が何と言っても有名。


しかし、ベートーヴェンの和声を更に進化させて…
それを『交響詩』等の管弦楽曲に導入し、更にそれがワーグナーの楽劇に引用されるなど、
作曲の歴史上、なくてはならない重要な人物でもあるのです。


シューマンがリストに対してどう思っていたかと言えば…
『ピアノ演奏界のスーパーマン』
おそらく、そんなところです。


ですから、シューマンは若い時分、出来るだけ難易度の高い曲を書こうとしたのではないでしょうかね?


リストはピアニストとして頂点であったと同時に、作曲家としても大変優秀な人でしたので…
ピアノ曲は超絶技巧であり、
しかも想像以上に理路整然と書かれているものが多いのです。


しかし、シューマンの楽曲は…。


そう、上記した通り…
無駄や必要以上に音符の数が多い事が特徴。


例を挙げると…
『幻想曲』とか『クライスレリアーナ』などがあります。


リストの影響で、シューマンのピアノ曲は進化したのか?


正直、よく判りません。




結局のところ、ピアノの名人であったベートーヴェン、リストに憧れたシューマンですが…
憧れのピアノ曲に近づく事は出来ませんでした。


しかし、ショパンも含めた3人を目指してシューマンが奮闘したことにより…
シューマン独特のピアノの世界が育った事は間違いないでしょう。




さて、ここまでは3人の名作曲家を通じて、シューマンの音楽がどう形成されたかを書きました。


まあ、いつもの通り私の勝手な推測です(^^;


軽く聞き流すぐらいで丁度良いと思います(笑)




それにしても、ピアノっていいですよね。


映画を観てると、映画音楽にもピアノが沢山使われています。


特に、観る人の精神面に訴えたい時、ピアノが効果的に使われる事が多いんです。


人の悲しみを表現する時、
男女の恋愛、特に女性が官能的な場面を演じる時。


ピアノは本当に効果的。


エマニエル夫人のシルビア・クリステルを、私は今イメージしました。


滝川クリステルではないですよ(苦笑)


コントロールしきれない人の感情。


シューマンの音楽には、ピアノが一番似合う。


私はそんな気がします。




次回以降、そんな魅力に満ち溢れたシューマンの音楽を、少しずつ紹介していこうと思います。


ではでは、今回はこのへんで。


皆様、ごきげんよう

阪神淡路大震災から19年

こんばんは。


月日の経つのは本当に速いものです。


あの震災から、もう20年近い年月が流れました。


と言うことは…
現在、大学生を除く高校生までの学生さんたちは、あの震災の時にまだ生まれていなかったことになる。


しかも、約3年前に東日本大震災が起きたこともあり…
阪神淡路大震災の記憶は、多くの人々の心から忘れ去られようとしています。


あの震災が原因で、約6400人の尊い命が失われました。


横倒しになった高速道路。


火の海と化した街。


私は忘れません。


我が国は、世界有数の地震国なのです。


自然現象を無くすことは…
確かに、我々人間の力では出来ません。


ですが、このような大災害において…
志半ばで亡くなった方々の魂を、どうすれば鎮めることが出きるのか?


それは、大震災から我々が出来得る限り学び…
いつか我々の身にも襲いかかって来るであろう災害に対して、ひとりひとりが出来得る範囲内で準備をし立ち向かう事ではないでしょうか。


そうすることは、災害で意に反して亡くなった人々の命を、決して無駄なものにしないという意味を持つからです。


法により罰せられることはありませんが…
災害を簡単に忘れてしまうことも、その災害を教訓にしないことも、同じ状況が起こらぬように準備や努力をしないことも、
人として、“罪”なのではないでしょうか。


勿論、準備などは『出来る範囲内で』行えばいいのです。


人それぞれの状況や立場がありますからね。


私も、常に心していたいと思っています。
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