平日の夜はあまりパソコンを使いませんが、

なんとなくアップしてみました。

 

寺地はるな「今日のハチミツ、明日のわたし」

いじめや摂食障害に苦しんでいた中学生の碧は、

『蜂蜜をもうひと匙足せば、あなたの明日は今日より良くなる』と

見知らぬ女性からハチミツの小瓶をもらう。

30歳になった碧は、頼りない恋人の安西の提案で彼の故郷で一緒に

暮らすことになる。

退路を断って彼の実家に行くと父親の反対に会い、碧は見知らぬ土地で

生活を始める…

碧は養蜂家の黒田と出会い彼の蜂蜜園を手伝うことになります。

ピンチとも言える時に“蜂蜜”と再会したのは偶然ですが、

蜂蜜が碧の人生を広げました。

1さじの蜂蜜は蜂が一生に集める量だそうです。

1さじの蜂蜜の重みやパワーを感じます。

小説の中でもたくさんの蜂蜜のレシピが紹介されていましたが、

ありがたさを感じながら蜂蜜を味わってみたいと思いましたケロ。

 

 

中島京子「やさしい猫」

シングルマザーの保育士ミユキは偶然参加した震災ボランティアで8歳年下の

自動車整備士でスリランカ人のクマさんと出会う。

その後、再会した2人は徐々に距離を縮め、ミユキの娘・マヤも含め家族同様の

暮らしを始め、結婚を目前にクマさんが入管法違反で勾留されてしまう。

クマさんを助け出すためにミユキはハムスター先生(弁護士)と戦うことに…

はじめのほのぼのムードから一転、クマさんが衰弱していくのにハラハラしました。

確かにオーバーステイは違反であり、クマさんはいいひとだからと感情論で

“入管の弱い者いじめ”ととらえてはいけないとは思います。

しかし、在留特別許可は入管職員の裁量が大きいとのこと。

裁量権を持った人には、対象になる人の背景をちゃんと調べるためにちゃんと

“汗をかいてほしい”と思いました。

日本の難民受け入れ率の低さも“確認して調べる”という労力を使わずに、

“危うきに近寄らず”で厳しい基準で排除しているのではないかと感じます。

小説では欧米以外の外国人への偏見も語られていました。

また、入国管理施設での待遇(環境や病気になっても受診できない)は

人権に係わることです。

これもハラスメントではないのでしょうか。この待遇に対して声を上げることの

できない人たちの代わりに声を上げる人はいないのかと思いました。

知らなかった世界ですが、知ることができて良かったですケロ。

 

 

寺地はるな「声の在りか」

家族に無関心な夫やママ友との間で自分の気持ちをうまく言葉にできない

もどかしさを抱え、息子・晴基の成長を気にしながらパート勤めをする希和。

偶然晴基が民間学童に出入りしていることを知り、その施設内に入った希和は、

マイペースな経営者・要と出会い、要から学童を手伝ってほしいと持ち掛けられる。

要や子供たちと接するうちに、自分が思っていることを言葉にするのを難しく感じ、

我慢している間に自分の言葉を失っていたことに気づく…

自分が思っていることを正しく言葉にするのは難しいと思います。

自分が意地悪なことをしていると思い行動している人はいないはずで、

それが他人に“意地悪な人”と思われたとすると、その人は思っていることと

違うように理解されていることになります。

言葉にするには技術がいるなぁと思います。

そうして、すれ違いを避けて“我慢している方が楽”となりますが、

声を上げないと“ないもの”になります。

社会的レベルの大きなこと、ごく小さな私的レベルなことでも、必要な時には

声をあげていかないといけないと思いました。

“沈黙は金”を感じることも多いですが、“声をあげること”も避けては

いけないと思いましたケロ。