厳しいプロ野球選手の引き際! | 自分おこしで人おこし(アドラー心理学)

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「自分おこし」は、やがて周りの人たちをも「おこし」ていきます! 
これが「人おこし」 です!

1軍の公式戦で華やかに引退セレモニーや引退試合を開催して頂ける選手がいる一方、
何もなく静かにユニフォームを脱いでいく選手たちがほとんどのプロ野球界。

城島健司選手も、プロ野球を愛する人たちからは「一流の選手」と言っても過言ではない
選手の1人だと思いますが、1軍の試合ではなく2軍の試合で最後の試合を終え
ユニフォームを脱ぎました。

1995年ダイエー(現ソフトバンク)にドラフト1位で入団しました。
別府大付属高3年当時は、巨人入りを希望していたそうですが、
高校生にはドラフトで逆指名することが出来ず、巨人の本拠地東京に近い駒澤大学進学を
希望していましたが、ダイエーが1994年のドラフト会議で1位指名しました。
来季からダイエーの監督就任が決まっていた王貞治さんがいることが
ダイエー入団のきっかけになったそうです。

そして、入団3年目に先発キャッチャーの座を獲得し、1999年にダイエーとして初のリーグ優勝に
貢献しました。
その後、2回のリーグ優勝貢献しました。

そして、2006年から2009年までMLBのシアトル・マリナーズでイチロー選手とともに
プレーしたことはご記憶に新しいと思います。
2009年シーズン終了時に残り2年間の契約を破棄し、阪神タイガースに入団し
日本のプロ野球に復帰しました。その当時、4年間の契約を結んでいました。
2010年シーズンこそ活躍しましたが、2011年、2012年とケガのため
ほとんど出場機会を失っていました。
来シーズン4年目の契約が残っていますが、キャッチャーとして活躍できなくなったら
辞める覚悟をしていた城島選手は、9/28に引退を宣言しました。

そして9/29、城島選手は2軍の試合で3番キャッチャーとして先発出場しました。
その第1打席でセンター前にタイムリーを放ち、これが現役最後の打席になりました。

まだ、試合が始まった1回にもかかわらず、藤川球児選手の音頭で7回阪神ナインに
胴上げされました。

最初から、キャッチャーとして好評だったわけではなく、逆に捕手城島を酷評するOBや
解説者も数多くいたそうですが、それを跳ね除け一流のキャッチャーに成長した
努力の選手だと思います。
また、イチロー選手もコメントしていましたが「人間らしい男」と、グランドで見せる
野球人の面とは違う大変繊細さを持つ方だったそうです。
(負けた試合は投手より自分の責任だと涙したというエピソードもあるとか!)

金本選手の引退は華々しく甲子園で10/9に行われます。
もちろん、金本選手はそれほどの功績を残していますので当然と言えば当然ですが、
城島選手だって、金本選手に匹敵する選手だったと私は思います。
しかし、やはりスポーツ選手の引退って成績が全ての世界なだけに残酷という気がしました!