“あの頃”の常磐線をNゲージで… | ヘタレ車掌の戯言

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毎日惰性だけで生きているヘタレ車掌の日常です。

昨日は公休出勤の後、流山の貸しレイアウト“日本ぴょんた鉄道”に行ってきて、ワタクシが小学生だったの頃の国鉄マーク(JNR)国鉄常磐線を走っていた車両たちを走らせてきました。

常磐線は、取手駅より北側が交流電化であることや1962年に発生した三河島事故を契機とした独自の列車無線(いわゆる常磐無線)を採用していたこと、1971年以降の複々線化で緩行線(各駅停車)が営団地下鉄(現・東京メトロ東京メトロ)メトロ千代田千代田線との相互直通運転によって車内信号式ATCを採用していたことなど、国鉄マーク(JNR)国鉄の路線としては独自の要素が多く、当然地域限定的な車両が多いため、量産前提の鉄道模型製品としてはどこかが“タイプ”であったりしてズバリな製品にはあまり恵まれせんでした。が、ここ10数年くらいで少数派の車両の製品化を得意とするマイクロエースの出現によって製品化されるようになりました。ただ、このメーカーはどういうわけか「なんか違う」と突っ込みを入れたくなる製品が多く、やはりもっと一般的なメーカーであるKATOやTOMIXでの製品化を期待したくなるものです(笑)。が、最新ネタを除けば国鉄形の製品化はほぼやりつくした感のある両者が次に着目するのは地域限定的なネタだったりするわけで、KATOから寝台特急“ゆうづる号関連商品として常磐線や総武線などでしか見られなかった国鉄EF80形が製品化された際は驚いたものです。その後もいきなり始まった“地下鉄シリーズ”で常磐線に直通してくる東京メトロ東京メトロメトロ千代田千代田線東京メトロ16000系 4次車16000系営団地下鉄メトロ千代田千代田線営団6000系6000系が製品化されたり、TOMIXでもHG(ハイグレード)仕様の国鉄マーク(JNR)国鉄103系(エメラルドグリーン)103系の一発目は国鉄マーク(JNR)国鉄時代の常磐線を意識した青緑色(常磐無線アンテナパーツ添付)でしたし、ここ最近でも現在緩行線で活躍しているJR東日本JR東日本JR東日本E233系2000番台E233系JR東日本209系1000番台209系JR東日本E233系2000番台E233系とある程度共通化できる小田急?小田急電鉄小田急4000系4000形(2代目)などが次々と製品化され、ついには国鉄マーク(JNR)国鉄103系メトロ千代田千代田線直通仕様車まで製品化されるようになりました。最近もJR東日本JR東日本485系特急“ひたち号が製品化発表されましたね。ワタクシは元々国鉄マーク(JNR)国鉄形大好きというわけではないのですが、やはり地元ですし、自宅から見えるところを走っているのが常磐線ですので、おのずと食指が動きます(笑)。

 

国鉄マーク(JNR)国鉄103系(TOMIX製品)㊧と営団地下鉄営団6000系6000系(KATO製品)㊨

ちょっとピントが甘いですが(笑)、両者とも国鉄マーク(JNR)国鉄常磐線複々線化・営団地下鉄メトロ千代田千代田線相互直通運転開始時に導入された車両です。国鉄マーク(JNR)国鉄103系は車体が普通鋼製なのでもちろん全塗装なのですが、直通先の営団地下鉄の車両(ステンレス製の営団5000系(ステンレス・北綾瀬支線)5000系とアルミ製の営団6000系6000系)に合わせたのか灰色地に青緑色の帯というカラーリングとなっていて、素人目にはどちらも同じように見えるような・・・というのは言い過ぎでしょうか?。常磐線沿線住民は、緩行線(各駅停車)が“常磐線”ではなく“メトロ千代田千代田線”と意識している方が多く、広告物なども“メトロ千代田千代田線金町駅”“地下鉄メトロ千代田千代田線乗り入れ常磐線馬橋駅”などの記載が多く見られます。常磐線とメトロ千代田千代田線のイメージの差も大きいでしょうが(笑)、同じような色使いだったことも両者が1つの路線に見えてしまう一因だったかもしれません。

 

今月購入したばかりなのですが、レールのコンディションがよくなかったからなのか(店主曰く、この日の客は自分だけだったので汚れというよりは表面の酸化被膜ではないかとのこと)、走らせていると若干ギシキャクしてきました。分解してみると、ガラスパーツに乗務員室直後の戸袋窓の準備のようなモールドがあること、モハ102形の床板に手ブレーキや蓄電池のパーツを付けるための準備がされているるので、中央・総武緩行線のメトロ東西東西線直通用もいずれ製品化されるのでは?という気がします。

 

常磐無線アンテナと信号炎管はユーザー取り付けパーツで、信号炎管はあらかじめ穴が開いていますがなかなか取り付けにくく、飛ばして行方不明になりがちです。常磐無線アンテナは先頭部と車体中心付近の2か所取り付けるのですが、こちらは取付穴を自分で開ける必要があります。取付足が短いので、接着剤を併用しないと気付かないうちに取れて行方不明になる可能性があります。

 

前面は地下鉄直通車なので貫通扉(非常脱出扉)付きです。地下鉄直通車の乗務員室扉は、地上型より若干後ろにずれていますが、それもきちんと再現されています。乗務員室扉に隣接した屋根昇降ステップは、地上型ですと折りた たみ式ですが、地下鉄直通車は地下鉄線内での車両限界に収めるために埋込型になっています。かつて国鉄マーク(JNR)国鉄時刻表の国電のページでは、その路線の電車の色が記載されていましたが、中央・総武緩行線の地下鉄メトロ東西東西線直通と地下鉄メトロ千代田千代田線直通の常磐緩行線は“ぎん色の電車”と記載されていましたね。銀色というよりは灰色なのですが・・・。この製品でちょっと残念なのは、本来前面帯の太くなっている部分が側面に若干回り込んでいるのが再現されていないことでしょうか?

 

営団地下鉄営団5000系(ステンレス・北綾瀬支線)5000系(マイクロエース製品)㊧と国鉄マーク(JNR)国鉄103系(エメラルドグリーン)103系(TOMIX製品)㊨

㊧の営団地下鉄営団5000系(ステンレス・北綾瀬支線)5000系は1969年の営団地下鉄メトロ千代田千代田線開業時(北千住駅~大手町駅間)に導入された車両です。メトロ東西東西線に導入されていた営団5000系(ステンレス)5000系と同じ営団5000系(ステンレス・北綾瀬支線)5000系ですが、前面・側面の識別帯がメトロ千代田千代田線のラインカラーである緑色で、こちらは車内信号式ATCを採用し、その本体が車掌側前面窓の下半分をふさぐように設置されていました(当時のメトロ東西東西線は地上信号式ATCを採用)。当時は前面帯が細く3両固定編成で導入されました。翌1970年に中間車を増結して5両固定編成化、1971年の大手町駅~霞ヶ関駅間開業と国鉄マーク(JNR)国鉄常磐線直通開始時に5両固定編成を2編成つなげて10両編成化されました。この時に前面帯が太くなり、車内信号の表示方法変更に伴い計器盤の改造や常磐無線設置改造が実施されましたが、中間に入る運転台は先頭車として使うことがなくなるのでそれらの改造は未着手のまま運用されました。1979年の綾瀬駅~北綾瀬駅間分岐線旅客営業開始(線路自体はメトロ千代田千代田線開業時から綾瀬検車区への引き込み線として存在していました)に伴い、3両固定編成2編成を確保するため、1編成は戸袋窓のない中間車3両を増備して10両固定編成化(抜き取った3両を分岐線用3両固定編成に)、もう1編成は分岐線予備編成として5両固定編成+5両固定編成の組成を3両固定編成+7両固定編成に組み替えています。1981年のメトロ東西東西線輸送力増強に際して、分岐線用の3両固定編成を除いて全車がメトロ東西東西線に転用され、国鉄マーク(JNR)国鉄常磐線直通から撤退しました。この編成はマイクロエース製品のわりには(笑)走りがスムーズです。車掌側前面窓下半分をふさいであるのはワタクシの加工で、製品状態ではありません。

㊨の国鉄マーク(JNR)国鉄103系(エメラルドグリーン)103系は、1963年に試作車、1964年から量産車が山手線に導入された車両ですが、常磐線では1967年から導入されました。当時はまだ複々線化・営団地下鉄メトロ千代田千代田線相互直通運転開始前なので、この103系(エメラルドグリーン)103系が茶色の旧型車(72・73系など)とともに上野駅~取手駅間の各駅停車として運転されていました。90系(→101系)で始まった首都圏と関西圏の国電の色分け5色目となる青緑色の塗装が採用されましたが、関西圏の国電ではこの色は採用されず結果的に常磐線オリジナルとなりました。常磐線は他線区の103系の調整役となることが多く、編成パターンが数種類あったり、混色編成も度々見られましたが、先頭車は常磐無線の関係で、国鉄マーク(JNR)国鉄時代は地下鉄直通車の快速線転用による玉突きでの他線区転出を除けばあまり入れ替わりはなかったと記憶しています。TOMIXのHG(ハイグレード)仕様の国鉄マーク(JNR)国鉄103系(エメラルドグリーン)103系はこの青緑色が最初に製品化されていて、ワタクシは7両固定編成+3両固定編成の10両編成に仕立ててあります。

 

国鉄マーク(JNR)国鉄EF80形けん引の客車列車(機関車・客車ともKATO製品)

常磐線では1982年まで上野駅発着の客車列車が設定されていました。機関車はEF80形EF81EF81形、客車は旧型客車(スハフ・青)43系のいわゆる旧型客車や郵便郵便車でした。EF80形は1962年から1967年に常磐線に導入された交流直流両用機関車です。この機関車の特徴は交流直流両用であることはもちろんのこと、1つの台 車に主電動機を1個のみ装備し歯車で2軸を駆動することで、6軸駆動の機関車なのに主電動機は3個しかありません。また、一般的な国鉄マーク(JNR)国鉄の電気機関車より車輪径や台 車の軸距が小さめでどことなく短足なイメージがあります。運用区間も常磐線と武蔵野線、総武線、水戸線などに限られていて地域限定的な要素が強いこと、独特な車輪径や軸距が模型メーカー的に他形式と部品共用が難しいことからなかなか製品化されにくい形式だったのですが、マイクロエースで製品化されてから何年か後にまさかのKATOで製品化されました。メーカーの売り込みはあくまで寝台特急“ゆうづる号なのですが、へそ曲がりなワタクシは寝台特急“ゆうづる号ではなく旧型客車(スハフ・青)43系客車による普通列車に仕立てています。青い車体の客車なので、扉を開けたまま走るこの客車列車をブルートレインと思っていた…なんて恥ずかしくて言えない(笑)小学生時代・・・。今思えばそんな客車列車が1982年まで上野駅に乗り入れていたことが驚きです。快速線のホームがない駅最寄りの小学生は指咥えて見ているだけの列車でしたが(笑)。走る線路は違いますが地下鉄の電車と旧型客車が10年ぐらい当たり前に並走していたなんて今考えるとすごいですね。

 

あとはまともな造形の国鉄マーク(JNR)国鉄/JR東日本JR東日本203系415系401415系403415系415系営団地下鉄/東京メトロ東京メトロ06系が欲しいですね・・・

現状は造形がアレな製品や床下機器が国鉄マーク(JNR)国鉄国鉄113系 湘南色113系JR東日本211系 房総色211系の流用なのはいやだー(笑)。