前回記事の続きです。
前回記事の踏切から山側の道を川西能勢口駅方面に歩くと、川西能勢口駅を発車した宝塚本線の下り電車が撮影できます(晴天時や午前は逆光にやってしまいますが・・・)。
それでは撮影順に・・・
6000系6108の雲雀丘花屋敷行き普通
6000系、7000系及び8000系では、増結編成を除き宝塚方の連結器は自動連結器であることが多い中、この6108は電気連結器なしの密着連結器となっています。
8000系8107の雲雀丘花屋敷行き普通
1000系1101の雲雀丘花屋敷行き普通
1000系1103の阪急宝塚行き急行
この編成を側面メインで撮るためにこの場所に来たのですが、反射で白っぽく光ってしまい、肝心なイラストが・・・
ここへたどり着く途中に「ナイチンゲール像」という道案内の看板があって、矢印を辿っていくと・・・
世界に2つしかないと言われるナイチンゲール像が川西市の町並みを背にして建てられています。
ナイチンゲールと言えば、近代看護教育の母と言われ、戦場の病院での敵味方ない献身的な看護などで知られている方ですが、そのナイチンゲール像がなぜか川西市の閑静な住宅地にあります。
なぜ川西市のこの地に?と疑問に思いましたが、この土地の所有者が病気療養中に看護婦(当時の表現)の献身的な看護に感銘して建立されたものと言われています。もう一つのナイチンゲール像はロンドンにあるそうですが、もちろんあちらがご本家で、こちらはそれを原型として作られた複製品になります。
ここから川西能勢口駅に向かって歩くとカーブを描いた道路に突き当たるのですが、この道路は1981年まで能勢電車の線路でした。現在、能勢電車は阪急電車宝塚線との共同使用駅である川西能勢口駅から妙見口駅と日生中央駅へ向かっているのですが、かつては川西能勢口駅から国鉄(現・JR西日本)福知山線川西池田駅駅前の川西国鉄前駅まで伸びていました。1981年12月に廃止され、阪急電車との交差部分から川西能勢口駅方向にはしばらく線路が残っていましたが、現在は跡形もなく道路に化けています。が、そんな線路があったことを示すモニュメントがあります。
但し、モニュメントは当時の線路の方向と交わるように設置されています。使われている車輪は当時この区間を往復していた50形のものではないようです。枕木は当時の木枕木ではなく、ポイントや橋梁で使われている合成マクラギ(ガラス繊維を樹脂で固めたもの)です。バラスト(砂利)は樹脂で固められていますので崩れることはありません。
せっかくの説明文が・・・
川西能勢口駅からは8000系8105の阪急宝塚行き急行に乗車し、次の場所へ・・・
急行とは言うものの、乗車区間は実質的に各駅停車です(笑)
次回以降に続きます。