今日から早くも12月ですね。今年もあと1ヶ月になりました。
年賀状の手配や忘年会、大掃除など忙しい時期ですね。もっともワタクシは2年続けて喪中なので、年賀状ではなく喪中はがきの手配なのですが…
で、タイトルのなにが“あれから17年”なのかですが(笑)、冒頭の画像を見ていただければだいたい推測が付くように、京王線の“名車”と言われた5000・5100系が引退してから早くも17年になるのですね。
緑色の電車の中に1963年、アイボリー塗装を施し颯爽とデビューした5000・5100系は、一時期の京王線を代表する電車でしたが、後に続く6000系以降の大型車と比較して輸送力の面で1歩引く存在となってしまい、車両大型化の流れによって1986年から廃車が始まり(事故による廃車は1979年にも1両発生)1996年12月を以て営業車両としては過去のものとなってしまいました(事業用としては2004年まで在籍)。幸い京王での引退後も、特殊な1372㎜軌間というハンデを抱えながらも地方私鉄で手頃な車体規格や優れた車体デザイン、そして京王重機整備の営業努力によって多くの車両が第二の職場を得て今も活躍しています。ただ、譲渡先でも譲渡後20年以上となる車両もあり、保守部品の枯渇などもあって廃車となる車両も発生しています。
冒頭の画像はは1996年11月動物園線で最後の活躍をする5000系で、引退を記念したヘッドマークが掲げられています。この編成の8両のうち、6両(クハ5722、デハ5022、デハ5072、クハ5772、デハ5023、デハ5073)は京急1000形廃車発生品の台 車と組み合わされ、高松琴平電気鉄道に譲渡され、1100形として琴平線で活躍しています。あとの2両は1両(クハ5723)が京王帝都電鉄として保存前提で保管、1両(クハ5773)が残念ながら解体処分となっています。
こちらは1995年まで活躍したデハ5121を先頭とする7両編成
この編成は、1979年の踏切事故によりクハ5871を失った編成で、事故遭遇時の組成と逆の組み方で6両固定編成として復旧、事故から10年後の1989年、5000・5100系6両編成解消のためにクハ5771を他編成から編入して7両編成化されました。先頭のデハ5121は、営団地下鉄3000系廃車発生品の台 車と組み合わされて一畑電鉄に譲渡され、2100形として活躍しています。3両目のクハ5771は高松琴平電気鉄道へ譲渡され、1100形として活躍しています。
富士急行では1000形1編成を京王時代の塗装と車号に復刻
前面貫通扉の方向幕を撤去し、京王時代と異なる冷房装置を搭載する伊予鉄道譲渡車ですが、車体幅の狭い初期型や2700系の電装品を流用した5100系ツリカケ駆動車を種車とした車両の譲渡車は伊予鉄道でのみ見られます。また、他の譲渡車両と異なり、内装更新は未施工のため、天井を見なければ最も京王時代の内装に近いものとなっています。
最近、鉄道ネタの記事が少なくなっていたので、久々に鉄道ネタで書いてみました。