つりかけ駆動かつ発電ブレーキ装備の30形に乗る。 | ヘタレ車掌の戯言

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毎日惰性だけで生きているヘタレ車掌の日常です。

前回記事の続きです。

19日から2泊、浜松駅近くのビジネスホテルに宿泊しました。ネット予約で1泊4200円也(笑)
到着した頃は静岡を出た頃よりも雨が本格的に降っていました。

翌20日も午前中は天気悪いらしいとのことで、この日は遠州鉄道の“平日朝専用”状態である30形に乗るのをメインに行動し、30形入庫後は西鹿島駅から天竜浜名湖鉄道→新所原駅→JR東海道線経由で豊橋方面に向かいました。

 30形クハ85の西鹿島行き 翌日の2013年5月21日撮影
落したレンズでの撮影ということもあって、ボケなどでお見苦しい限りです(;^_^A 

1月に来た時は、撮るだけでしたので、今回は乗ってみました。
  上段・下段ともモハ25の車内です。
30形は、元々運転台側だけが仕切られている半室運転台仕様だったからか、当初より全室タイプの乗務員室となっている車両でも、運転席背面に大きな仕切窓を配し、仕切扉は車掌台側に寄せた配置となっています。貫通路は、営団→東京地下鉄6000系7000系みたいなキノコ型の開口部と車体断面と同じぐらいのサイズの貫通幌を採用していますが、これは営団よりもこちらのが先に採用しています。営団地下鉄では、貫通路からの吹き抜け風対策で通常の引戸つきに改められ、キノコ型貫通路を有する車両も、韓国での地下鉄火災以降の防火・延焼抑止対策として引戸つきに改造されています。同様の貫通路は、石川県の北陸鉄道にもありました(当該車両は、運用区間廃止後大井川鉄道へ譲渡されました・・・現在は廃車)。遠州鉄道も北陸鉄道も日本車輌製の車両でしたので、日本車輌の売り込みなのかも知れません。遠州鉄道では、1980年製のモハ51-クハ61を除いた全編成がキノコ型の貫通路を採用しています。
車内の配色はアイボリーの壁面にライトパープルの座席、グリーンの床となっています。壁面は化粧板ではなく、塗装仕上げです。1978年製造の車両で塗装仕上げの内装は珍しいかと思いますが、もしかしたら新造当初は違う配色で、後天的にイメージチェンジのために化粧板の張替えではなく塗りつぶしたのかも知れません。ちなみに30形の“末っ子”であるモハ51-クハ61も同様に塗装仕上げの内装です。

 30形モハ25の運転台
ただいまの速度は53㎞/h、画像ではわかりにくいかと思いますが、右上の黄色いランプが点灯していますので、発電ブレーキ中ですね。黒く塗られたパネルの右側にある電流計の針が200アンペアを指している一方で、左から2つ目のブレーキシリンダ圧力計の針は0kPaを指していますので、空気ブレーキは働いていない状態です。
左手側は主幹制御器、いわゆるマスコン、 右手側はブレーキ弁です。マスコンは日本車輌製です。日本車輌は、本来電機メーカーではありませんが、名古屋市営地下鉄やここ遠州鉄道、その他路面電車などの電装品も製造していました。

 30形モハ25の車掌台側
ポコンと立ち上がった形で設置されているアイボリーの箱は放送アンプ、右側壁面のアイボリーのスイッチはお馴染みの車掌スイッチです。一般には“ドアスイッチ”と言われることが多いスイッチですが、本体の銘板にもある通り、“車掌スイッチ”が正式名称です。
ちなみにこの放送アンプ(こちらの正式名称は“出力増幅器”あるいは“放送増幅器”です)も、車掌スイッチも、某私鉄の車両とまったく同じものに見えるのは気のせいでしょうか(笑)
放送アンプの下にある畳まれたレバーのようなものは、いまやあまり見かけなくなった手ブレーキです。手ブレーキは、常用しているブレーキが機能しなくなった事態の予備あるいは、車両を留置する際に使ったりするブレーキですが、最近は常用ブレーキとは別系統の保安ブレーキ(あるいは直通予備ブレーキ)が設置されているため、手ブレーキは省略されるようになりました。余談ですが、かつての国鉄では、車両構造に関する規程が私鉄車両の類似規程と異なる内容だったため、201・203系や185系世代の車両まで、手ブレーキは必須の設備でした。
乗務員室内のグレー塗装は、やはり後天的なものかと思います。

ちなみにこちらは、同じ30形でも、カルダン駆動を採用したモハ51-クハ61編成のクハ61の運転台
前面形状が異なることから、運転台の仕様も異なります、
モハ25までは、計器盤の上に飛び出していた速度計が計器盤の左側に収まったり、マスコンが日本車輌製から東洋電機製に変化したり・・・
  
30形モハ51の新浜松行き 自動車学校前~さぎの宮間にて2013年1月7日撮影

遠州鉄道・天竜浜名湖線共通1日フリーきっぷを利用していますので、1往復半、全国的に見ても貴重となった発電ブレーキ付きつりかけ駆動の音や乗り心地を堪能しました。
運用終了となる2往復目の西鹿島駅到着は、改札前1番線の向かい側となる2番線到着となるのですが、このホームは4両編成が満足に停まれない長さなので、先頭1両の前寄りと最後部車の扉が開きません。ホームからはみ出して停車の30形クハ85
前寄り(奥側)の扉は開いていません。
遠州鉄道では、1000形と2000形に転落防止外幌を設置していますが、この30形はモハ51-クハ61を除いて貫通幌の断面が大きいので、外幌を付けなくても転落防止できそうですね(笑)

西鹿島駅構内には車庫・工場も併設されています。

休車となっている30形クハ89遠州鉄道最古参の1963年製です。この車両は扉が片開き、乗務員室は半室運転台となっており、いずれも遠州鉄道唯一の存在です。
後のモハ27は1974年製で両開き扉、全室形の乗務員室です。
休車ということで、現在、運用についていません。おそらく、次回の2000形増備によって代替廃車となるのではないかと思われます。
30形は、1958年から1980年にかけて30両が導入されましたが、導入時期によって仕様に変化が多々あり、また、モハとクハの製造時期の違いによる組み合わせ変更などもあって、このように10年以上製造時期の差がある編成も珍しくありませんでした。
冷房は、1978年導入のモハ25-クハ85から搭載され、既存車についても冷房改造が実施されましたが、改造されることなく廃車となった車両もあるようです。

30形クハ85から見た貫通路