おはようございます。今日は泊り勤務ですので午後の出勤です。
昨日は「何の脈略もなく」こんな画像を貼りましたが・・・

小田急デハ3231 玉川学園前~鶴川間 1999.7
そんな小田急つながりで、3月のダイヤ改正で引退した「小田急顔」の電車たちをいくつか貼って行きたいと思います。
まず、「小田急顔」ってなんやねん?ってハナシになりそうですが(笑)
こんな顔です(笑)
大きな電球タイプのライトを台形のケーシングに2つ並べたヘッドライト
幅・高さとも小さめで幌接続を一切考慮していない一方で左右に手すりがある貫通扉
ほぼ正方形の前面窓
貫通扉下部の縦長の行先表示幕
助士側前面窓上部の種別表示幕
前面窓上部の標識灯
そして大量輸送に対応すべく幅が広く裾を絞った車体幅
・・・だいたいこんなイメージですよね?
もっともこれは最近の話でして、旧くは車体幅が狭く裾の絞りもない2400形1989年引退()もそうですし、ヘッドライトが後年の改造でこの形になった2200系列(1984年引退)、種別表示幕が最後まで設置されなかった2100形(1976年引退)、窓の上下にウインドシル・ヘッダーがあり、前面に雨樋がある1900形(1976年引退)や1700形(1974年引退)、前面が平面ながらも同様なレイアウトの1800形(1981年引退)も“小田急顔”と言われることもあり、そう考えると、その原点は60年以上昔にまでさかのぼる事が出来ますね。
ワタクシが実際に見たことあるのは2200系列あたりまでですがw
台形のケーシングのヘッドライトは、1959年登場の2400形HE車からの採用ですが、後年運転保安の観点から従来車もヘッドライトを2灯化することとなり、1800形、1900形、1700形、2100形、2200系列あるいは荷物電車までこの形のヘッドライトに改造されました。
このヘッドライトは、形状だけでなく点灯状態にも独特な点があり、主光(ハイビーム)では片側点灯、減光(ロービーム)では両側点灯になります。
ライトそのものは反射鏡やレンズと電球が別になっているタイプで、球切れの際は電球のみ交換します。
このタイプは電球の寿命が短く、寿命を少しでも伸ばそうということで主光では片側点灯になるのでしょうか?
ちなみにこのケーシング、“小田急顔”の象徴とも思えるパーツに見えますが、実は小田急だけでなく、秩父鉄道500系(1962~1992)や京阪電気鉄道600系(先代・1961~1983)及び大津線260・300・350形(1966~1997)にも採用されていました。
2000年から5200形の一部でシールドビーム(レンズ・反射鏡と発光するフィラメントが一体)化されていましたが、シールドビーム改造車では主光点灯時も両側点灯となっていました。
レンズの色が無色の車両と緑がかった車両とありますが、一見製造時期の違いに思えつつ、決してそうではないようです。ただ、このヘッドライトを採用している車両は1982年まで製造されている一方で、改造で装備した車両では、改造後5年程度で廃車されている車両もあり、推測の域でしかないですが廃車から外したケーシングを新造車に流用していたかもしれません。
ちなみにこの画像のクハ5063号車は1976年の製造ですが、緑がかったレンズです。
貫通扉下部には縦長の行先表示幕がありますが、これは1958年に登場した2220形から採用されたものです。ただ、2220形と改造で設置された車両では貫通扉から飛び出した形で行先表示幕が設置されている一方で、2320形や2400形以降では行先表示幕本体を車内側に張り出させることで、外面への飛び出しはなくなっています。当時はもちろん、ハンドルを回して操作する手動式で、ただでさえ行先の駅が多い上に縦型の字幕(しかも各停とそれ以外の列車では、行先だけの内容なのに使うコマが違う)なので、折返駅での操作は大変だったかと思われます。これが電動化されたのは、1972年開始の2600形の冷房改造車からで、電動化された車両では黒地に白抜き文字となりました。晩年は縦書きの下に英文が追加され、独特な表示になっていましたね。
貫通扉の左右にある手すりは、貫通路通行時(車庫内の作業員など…幌がないので乗客の通行・あるいは走行中の通行はできません)の転落防止のためかと思われます。製造時期によって形状にバリエーションがあります。
助士側前面窓上部にある種別表示幕は、1964年に登場した2600形から設置されていて、それまでの車両では運転士側前面窓下部に丸型の種別板を掲げていました。1800形と2200系列、2400形では後年の改造で設置されています。ただ、2600形も登場時の旧い写真を見ると、種別表示幕がありながらも実際の種別表示は従来どおりの種別板を掲げていたようです。
これも当初は手動操作でしたが、2600形の冷房改造車から電動化され、黒地に色文字の字幕になりました。ちなみに各停は、元々水色文字のコマが用意されていましたが、長年黒無地の無表示でした。各停表示を使うようになったのは1998年からだそうです。
運転士側及び助士側前面窓上部には後部標識灯(尾灯)がありますが、これは1998年まで急行・準急などの通過表示灯(通過駅がある…運転速度が高い列車であることを地上作業員や踏切警手などに周知する)としても使っていましたので、レンズは赤ではなく無色でした(後部標識灯として点灯するときは、内蔵された赤フィルター越しに点灯させる)。
車体幅は、2400形までは原則的に外板幅2700㎜(元特急車の1700形と2300形及び運輸省割当車の1800形は外板幅2800㎜)で裾の絞込みなし、1964年登場の2600形から国鉄の近郊型などと同じ外板幅2900㎜となり、ホームとの干渉を避けるために裾を絞り込んだ形としました。このため、2400形以前の車両が馬面気味に見えるのに対し、2600形以降ではゆったりした感じに見えるようになりました。
で、2600形です
小田急クハ2672 秦野~渋沢間 1999.7撮影
2600形は、増え続ける通勤客に対応するため、国電と同じ20m4扉車体を採用、更に車体幅も通勤型国電より広く、クロスシートの近郊型と同じ外板幅2900㎜を採用したことで、当時新型の国電103系よりも大型の通勤型電車となりました。
停車駅の多い各停の停車時間を短縮したいという意向から開発された電車で、6両(当面5両)固定とし、既存の車両との併結運転は考慮しない、各停の運転に適した性能(加速・減速)を前提としていました。
座席も座り心地より詰め込み重視で奥行きが浅いものとなり、長時間の乗車は想定していないものと窺うことができるかと思います。
性能面では、6両編成時にも電動車(デハ)3両、付随車(クハ・サハ)3両という経済的な組成で、電動車は3両1組としました。このため、電動車の主制御器は1基あたり1.5両分6個の主電動機をコントロールする方式となりました。また、電気ブレーキは抵抗器で発生電力を熱に変えて放出する発電ブレーキではなく、架線に返して他の電車で使ってもらう回生ブレーキを採用しました。ただ、これは現代の省電力化的な考え方よりも、抵抗器を減らせることでの重量減を意図したものとも言われています。
電動車と付随車の比率を同比とした2400形が高経済的としてHE(Hi Economical)車と呼ばれていましたが、この2600形では新しい高経済的な電車としてNHE車と呼ばれていました。
当初より6両編成の各停用として設計されていましたが、各停しか停まらない駅のホーム有効長の関係から当面5両編成とし、1967年からサハ(中間に組み込まれる付随車)を追加して6両編成となっています。
1968年までに6両編成22編成が出揃いました。
1972年からはサービス改善のため冷房化されることになりましたが、これに併せて前面の行先表示幕と種別表示幕が電動化され、側面には種別表示幕(途中から行先併設)が新設されました。
1984年度からは、経年劣化した部分の補修をメインとした車体修理工事が開始されましたが、外観はほとんど変化せず、内装も基本的な配色が変わっていないのであまり変化は見られませんでした。しいて言えば、座席の下の暖房グリルが緑塗装からステンレス無塗装になったとか、床の色が若干変わったとか、連結面の窓が固定になったぐらいでしょうか・・・
この車体修理では、本来付随車であるサハ2762号車がVVVFインバータ制御の試験車として活用されることになり、車体修理から1年ほどVVVF制御の電動車になっていたことがあります。
長年、他形式との併結はありませんでしたが、1983年からは他形式併結による10両編成での運転も開始されています。ただ、それでも当時は各停が最大6両編成だったこともあって、単独での各停運用が主体だったようです。
1992年には多摩線で土砂崩れによる脱線事故に遭遇し、事故復旧最優先として土砂に乗り上げた2両が車体を切断されそのまま廃車となり、その後残った車両(ほとんど損傷していない4両)の行く末が気になりましたが、ちょうどそのころに各停8両化(8両固定編成導入)の流れでの編成替えが実施されることになり、被災編成の残存4両も活用されることになりました。
8両編成化では、2編成のうち4両ずつを活かして電動車6両と付随車(先頭車)2両の1編成を組成し、余剰車(2編成分で付随車の4両)は廃車となりました。
その一方で、余剰車となった付随車(クハ…先頭車とサハ…中間車)から、先頭車2両と中間車6両が集められ、中間車のうち4両をVVVF制御の電動車に改造し、新たな8両編成が組成されました。
8両編成に改造された編成は、確定と準急で運用されていましたが、2000年度に2000形と入れ替わる形で廃車、6両編成も2001年度から3000形と入れ替わる形で廃車が進み、2004年度に全廃されました。
全廃に先立ち、2003年秋には、2600形登場時の塗装(藍色と山吹色のツートンカラー)が復刻され、最期ら花を添えました。
現在、その時の復刻塗装車となった編成のクハ2670号車が喜多見車両基地で保存されています。
次回は4000形の予定です。
