お立ち寄りありがとうございます。


今回は先達会の話ニヤリ


夏の大峰行のひとこま ミーティング中

当講には 先達会なるものが発足されていて、先達補任を受けると参加のお誘いがあります。

先達さんたちの情報共有と意識のすり合わせを行い、先達の質向上の一助になるようにとの活動となります。(任意参加です)


本年度は 『開堂十周年記念』がメンイとなっています。話題、議題もそちらが中心照れ


所属する団体の

脈や筋が明確であり、講としての活動と存続が見込め、認められているからこそ先達補任を受けられた事への価値が出ます。

母体となる講元や組織が無かったら修験者としての励みどころと範囲も低下しますし、

大きな個人の力だけではなく、個々は小さくとも多くの人の力をつなぎ結ぶことも修験行ですからね。

我ら一人一人の上(下)に講があり講の上(下)には龍泉寺があって、その上(下)には…ソノサキには… 

大きな祈りに繋がりますおねがい


自ら動く事で、自身の行いが神仏への奉仕になり布施行になるわけですね。


自らが供物になるつもりで考えてみる…

私たち一人一人が神ノ分け御霊であり神仏の成せない行い(オコナイ)をしている。させて頂く精神ですね。

他者も自身も大事だなとか、自身の行動が神仏の因果になるのか!と思うと少し言動が変わるはず。

気づきの積み重ねで人は変わっていきます。



どこで修験者としての役割を発揮するの?

伝承はどう受け継ぐの?

学び、法はどこで習い実践し身に付けるの?

授かった理の善行と奉仕は自分の為だけでいいの?

祀られた神仏への感謝や祈りは継続しなくていいの? 等々


良いもの良い場所、善い行いは

現世と神仏世界では大きく異なることがある。

そういう事を理解した上で、

現世と霊界の調和を学べることって

生活のなかでの個人行で補うには限界がありますよね。

自分バイアスで物事見ちゃうからショボーン

講での学びを決めた人には、知らず知らずに課題に取り組まなければならない流れがある感じ。


会社の様な縦の連携と

友人や仲間の助け合いの横の連携

が、神仏曼荼羅のよう ラブ両界曼荼羅スゲー

令和6年 春の峰入り


環境や立場が人を作り変える仕組み

よい場所、よい人々、よい音、よい空間

は、安定し整った人を作ります。


適した役割、少し頑張った役割、挑戦した役割には、自分の可能性と発見があります。


時には一歩も二歩も引いた立場からの役割で大発見があることもあります。

歳上だから、先輩だから、出来るから、できないから…など関係なく 実力と努力と前向きな姿勢はチャンスを生みます。



人 対 人

苦楽は他者がいるから生まれる訳ですね。

自身の内の弱さや強さは、人とのかかわり合いから発見し改革できるわけです。

鏡理論だね鏡


個人だけでは思いもつかない発想や考察、感覚が得られて活かせる。

心を開ければ尚に進化は早まります。

入口が小さかったら外からの水(知恵)もエネルギー(氣)の補充にも時間かかるよね。器は小さいままたくさんクレといわれても溢れて収まらない。 

『やるかやらないか』が『得るか得られずか』になっていく。



縦軸横軸の線(関わり、役割)と

会員の一人一人の点(素材、演者)が、動きをつくり生き生きとした新鮮な水(知恵と智慧)を生むわけです。

物語だね照れ



堂主は云います。

調和です。神仏も人間と同じですよ…と。


神仏との関わりは人と同じ…

なのに今は、現代常識(概念)が古とは違うから

人間側の行動がズレル事がある。

本質が見えにくい時代に…


秩父曼荼羅小屋は 

調和を基盤として学ぶ場所かなと…

結びます爆笑





独り言

最近メンバーのやる気が上がってきていて、

盛り上がってる気がする…。夏が近いから?

その勢いに乗っかって運んでもらおう🎵

航路確認はやらせて頂きます🧭✨ってな具合で、

やる気十分の龍神達に乗ってるイメージですね。

🐲🌀🐲🌀🐲

感謝応援 出来ることをやる!