お立ち寄りありがとうございます。


秩父曼荼羅小屋/弥生月の龍王祭

多くの参加者様と迎える事ができました。

感謝ヘビ感謝龍


ちょうど3月3日雛人形雛祭り


中央に飾られたお雛様も

桜の花をお髪に飾られ

なぜかハワイアン風に見える…

楽しそうでした照れ


姫のお姿面がぁ…写ってなかった…ガーン


今回の龍王祭

お久しぶりバイバイさんも

1回目、2回目さんも

いらっしゃり、

あの方ともお話したい

この方ともスター

ワクワクの一日でした。

良い感じ照れ音符



最近、公共機関を使っての

移動を余儀なく?しております。

車が主で動いていたものだから

まーぁ不便🤣本数少ないねー😣


遠方から電車バスを使って

お越しくださる皆々様の

様子を想像し

すこぶる沁みております。


神社仏閣、墓参り、帰省も

時間、距離、費用

をかけて詣でる

このお気持ち(心向き)が

祖霊、守護、神仏さまへの

供養、祈願、信仰、敬い

にエネルギー変換され現れると

信じていますスターうずまきスターうずまきスター


龍王祭に参加してくださる方への

想いもまた深く広くなりました。

尊いお願い桜



ランチTimeの談話中に

「◯◯さんがお釈迦様の教えについての本を(虚空ノ蔵で)探しているのだけれど…

と、師よりお声がけ頂いた。


お釈迦様の教えの何が知りたいのかな?

◯◯さんへ聞いてみた…


「ちゅうようについての教えを…」

中庸(中道)… と繰り返す。


ちゅうよう…


これまた…キョロキョロ 

中庸の教えを本でって難しい…。

なぜなら

ココにある全てがエッセンス

だからーぁ笑い泣き

うおーーーーしし座魂の叫び



一見関係なさそうな

武術の本のほうが、

的を獲てたりするかもしれないな爆笑

マジで

と思いつつも…


釈尊の柔軟訳の本をお貸しする事を

約束しました照れ


お役に立てれば本望です。

実は実子に読ませようと購入していた本…

後輩さんに使っていただけるなんてラッキーだ。


曼荼羅小屋通信 





俗に言う中庸、中道


AとBの真ん中、中間が良い

とか

犬さんと猫さんの意見について

どちらにも付かずがイイコトだ…。

(争いも面倒もゴメン)

と思うかも知れないが、


それは片鱗(一部)であり

包括した正しい中庸(中道)とはならないと考える。

確実に人は答えを持って選択し行動しているからだ。

AにもBにも、だれもにも

属さないで居ると言うことはこの世では

あり得ないと思うのです。


本心じゃなくとも

どこかの意に権利委託してしまっている状態


ただの他人事のような

解釈は中庸ではない。



意見に偏りがなく

どちらかに片寄ることもなく

曖昧で良いということでもない


良い悪いはないのだから

意見や決定、方向性を

確定させなくても良いと言うことでもない


流れに任せて

フワフワぷかぷかなんとなく…が

良いということでもない。



人間関係の中での中庸を見つける行。

難しいと思う人は多いと感じる

私もその一人


なぜかな。


AとB、だれも苦しくない選択

それはどこだろう…

そう思う心が中庸に近い感覚なのでは。


AとB、だれもが目的(目標)の最終に

丸く収まる状態を見極める行動


AとB、だれもが落ち着く流れが中庸



AとB、だれもは、

物事でも同じこと



中庸なる軸は

中心軸位置が変わっても

包括する範囲に変わりはなく

AとBとだれもを、よく知っている人は大きく範囲を取れるし、中庸軸をどこに持ってくるのかの選択肢も多くなる。

自身の器量によるのだろう。


AとB、だれも

がトータル的に目指す目的、

心願成就に適した意見や主張が出来るとは

限らないのだから…。


では、己の思う中庸(中道)とは

己の心が安定する道とは…



AとB、だれもが円満に成就できることを

導き出す正しく物事も見る心

それが養われて中庸(中道)の業のスゴさが

分かるのかもしれない。



中庸(中道)とは

独りで行ける道ではない

中庸という真ん中があるということは

二極以上があると言うことですし、

自らの道(中庸)を気がつかせてくれるのは

対比する何かがあるから。


中庸という道には

複数の道(線)がある


どこに点をうち

領域を展開していくかは

時と場合により変化する。

変化に柔軟対応できる点であり軸である。




つらつらと失礼しました。

合掌