先日、インドへ出掛けた
友人と会いました。
山の神といっても、
整理すると3パターンあるよね…。
1、由緒ある神社仏閣からお迎えした神
2、村や町の民が想念(望んだ)した山の神
3、自然発生した現象に対しての畏怖による神
それらが合わさって 山の神といっているのかと思う。
1から3の神がどのような配分で
その場のエネルギーと融合し山の神として祀られて居るのかは、祀ってきた人にしかわからないし、
それさえも解らないことも多くにあると思う。
後発的に拝することになる
私たちは、ただ単に、山の神様とくくるしかなのですよね。
深入りせずに向き合うくらいがちょうどよい事もあると思うのよね…
1でお迎えしたのが、男神なのか女神なのか 解らないのに、決めつける事もできないし。
2造り上げてしまった神は、人間の形をしているかも知れないし、動物の形かも知れないし、形はないかもしれないし…。
性格も好みも、その場で造り上げられた神によって変化するかもしれないし。
3の神は、山崩れや、崩落、雪崩、
倒木や滑落という不運な現象への恐れや、陽の光や霧や、風のざわめきを神とみて祀っているのもあると思うし、
それらの総和として 山の神
祀ってきた民の祈りはどこ基準?
目的はなんだろう?
安全なのか、繁栄なのか、魔除なのか、守護、敬い、供養 ?
正解は解らない。
だからこそ、手習い上、指導者や経典からの守破離の守を守る事で、自分を守り、その場の信仰を守ることができるのかなと思う。
良かれと想った事が、良いことかも解らないのだから。
経験と、理と、守り事の軸をぶらさずに向きあって、
総和としての思いを述べることしか、無いのかなって思うのでした。
地球のエネルギーと
山の神のエネルギーと
多くの人間のエネルギーと
個人のエネルギーと
どう影響しあうのか考えると、
個人単体での力なんて小さいけども
人間だって地球の一部
それを大きくしたり
通りやすくするためには
心を磨くことしかできないのかなって、思うのよ。
だって、霊(見えない)の部分でひびきあっているのでしょうから。
周波数ってそういう事かなって。
皆(私とあなた)の総和であるのですと
いう姿勢で、
調和、総和 わ
ワッ🙆
純精度高く、調和する
神仏の心のままに。
