大峯山行

お疲れ様でした。


秩父車組は遅めの帰路出立でしたが、

日付越えずに帰ることが出来ました照れ


順を追った丁寧な報告は、

我ら院主

秩父曼荼羅小屋通信をご覧ください。

秩父曼荼羅小屋通信



山行の後はいつも

洗濯の行が待っている。

手洗いで行います。

幼児が水遊びできるサイズのタライで

ザボザボ波洗います。


その後はアイロン行ですね爆笑

慣れない行者さんお疲れ様ですね。






今回の大峯行は特別がいっぱいで

非日常が、より非日常になりました。


師が

「今回は特別です次回はありません😅」

と何度も伝えていた意味がよく判る。


何だったんだろ…と思うほど

感動とミラクルがイッパイで…。


忙しくも穏やかで

同じ志の者が集う気楽さと

神仏への礼儀と緊張と


どこででも「ありがとう」の言霊と

笑い声が聞こえる…


時間厳守の行動と

仲間との距離が近くて、

パーソナルスペースも守られず、

縛られもするが


帰ってからの日常生活の方が

時間に急かされる感覚がある

孤独感を感じてる人もいるかも…。


不思議だ。




抖櫢修行お天気に恵まれるコトは

お馴染みになりつつある。


龍神さんと共にあるなと照れ

バロメーターのようになってる。

逆に雨に打たれながら行う行程が

必要ある日も来るのだろうか?



足元を見て神を感じ

上を見上げては神を感じ

山や川を見て神の気を感じて


目の前の現実がなぜそうなのか

問をたてて見る


神仏も私も共にイイを導き出せれば

常に神の軌跡が森羅万象なのだと

知るんだなと、一人納得する。



だから、今回の大峯行が

スペシャル続きだとしても

おかしくない訳だ爆笑


共鳴して 響きあってるだけ。

干渉して 引き合ってるだけ。


それなのに、分散(解散)されると

違和感が強まるのは何で?

居心地よかったものとの差

違和感に不安を感じることもあるかも…

一体感がある(あった)からこその差

慣れ親しんだコトと新たなコトの差

個と全体との差


よい習慣

よい仲間

よい環境

との差


非日常から帰ってからの

日常で感じる変化


この差を己で感じて

日常に役立てていく。

これが現代人の修行の意味なのか…。






参加者さんが

「ターニングポイントになりました…」と

お話しをしてくれたおねがい

前向きさが嬉しかった。


私は良かったコトよりも

反省点の回想の方が多くなりがちだけど、

今回は「笑い」や「似た者どおし」

「ナチュラル」など

ポジティブな印象が強い。



支えがあってのこの時間と空間

ご縁頂けたコトへの感謝


この思いはどうやって

返したらいいのだろう…ショボーン

と、考えだすと陥る己の無力さ。

感謝が大きすぎて自分のチッポケさに😢…。



ここで、卑屈になってはいけない。

その卑屈は傲慢の裏返しだからニヤリ

おまえ何様だ?!

卑屈になってる場合ではない。


そうさ無力な人間だ!

この無力をどう力に変える!

どう、恩(感謝)を返す!


はい🙌

修験行者として

日常に自利利他を行ジルだけです🎶


すずかけの道保存会さま感謝



あの、柴燈護摩…

お天気雨は忘れられないなぁ

🐲

みんなの想いが届いた気がした。





南無大師遍照金剛

南無八大龍王

南無観世音菩薩

南無辨財天

南無大黒天

南無大日大聖不動明王


南無神変大菩薩


は!!


普通の人が

普通に正しい思いやり(仏性)を

開花赤薔薇できれば

感謝により神変し大菩薩になれる

そう言うことかぁ…。

行者さまはHEROなんだよな。




この世は曼荼羅

全てはつながっている