先日の曼荼羅小屋では、
のんびりでありながら、
道場らしい高度な話ができて充実してました。
草むしりのご奉仕もいいよね。
沢の音と、草木に触れられて
「鬼に食われた男」の話って知ってます?
仏教の説法話? ですかね。
例え話としてポピュラーかな
法って言っていいのでは?
この話は、龍樹が中論で論理的に証明した「空」と「無我」の思想
「不変の自己など存在しない」という真理を理解するための代表的な比喩話として広く知られています。
鬼に食われた男の話
長旅をしている男は、その夜
空き家に泊まることにした。
真夜中、一体の鬼が現われ、
運んできた死体 を男の脇に置いた。
それを追いかけるように
別の鬼もやってきて、どちらの鬼も、
死体を持ってきたのは
自分だと主張して譲らない。
らちがあかないので、
鬼たちは一部始終を見ていただろう男に
答えろ と詰めよった。
死体を運んできたのはどっちだ?
嘘をついてもしかたがない。
どう答えても、
どちらかの鬼に殺されるだろう…。
観念した男は、死体を持ってきたのは
最初の鬼だと本当のことを言った。
二番目の鬼は激昂して、
男の腕を引きちぎった。
一番目の鬼は、すかさず死体の腕を
ひきちぎり男にくっつ けた。
それでも修まらずにもう片方の腕も…。
二番目の鬼が男の身体の一部をひきちぎるたびに、最初の鬼が死体から同じ部分を
取って男に戻したのである。
両腕、両脚、胴体、ついには頭まで…。
とうとう男と死体はすっかり
入れかわってしまった。
二体(人?)の鬼は死体に食らいつき、
(旅をしていた男のカラダね…)
食事を終えると口をぬぐって
去っていった。
あとに残った男は途方に暮れた。
いったい何が起きたのか。
生まれたときに与えられた身体は、
鬼たちに、みな食べられてしまい、
今の自分は赤の他人の身体で構成されている。自分には身体はあるのか?ないのか?
あるのだとしたら、これは白分の身体なのか、それとも他人の身体なのか。
身体がないのなら、いまここにある身体は
何なのか。
翌朝、男は混乱したまま旅を続けた。
仏僧の一団と出会ったので、くすぶっていた疑問をぶつける。
私は存在しているのでしょうか?
すると仏僧たちは男に問いかえした
「おまえは何者か? 」
男はどう答えてよいかわからず、
鬼に身体を交換された話をした。
「私は誰なんでしょう? 」
現代の科学者ならば、
この問いにどう答えるだろう。
そして、あなたなら、私なら
どう答えるだろう。
鬼とのやり取りや、
仏僧たちの問いも
見方を変えると答えも変わってくる。
どう解釈して、自分の答えにするかも
法があるかないかで変わってくる。
自分のなかに教えが行き渡り
理解の階層を変えれば、さらに
答えは変わってくる。
どう解く…。
おまけ
本日は瑠璃色を背面にお持ちの
仏様が…
ご縁日でしたね😊
こう言う感覚のすり合わせがあると
ちょっと気分が上がる
感謝も強くなるよね。
ご縁があるって嬉しいよ。

