短編ドラマ「切れない糸」その⑰(ショートストーリー1221) | 丸次郎 「ショート・ストーリー」

いつもより早く目覚めた好次朗は、昨日、典子が誰かに尾行されていた話や脅迫めいた電話のことを思い出しながら、隣りで体を寄せて眠っている典子の寝顔を見つめた。

 

「あの電話の声...AIで加工された声だったが、どことなく貴子に似ていた。」

 

「許さない。...絶対」

そう言って切った女の声。

今の好次朗に思い当たる節といえば、貴子ぐらいしか思い浮かばなかった。

 

やがて二人は、朝食を済ますと、中身の詰まったキャリーケースと航空チケットを手に、住み慣れた愛の巣に別れを告げた。

 

家の前まで出ると、典子は家を見つめ呟いた。

 

「もう二度と、ここへは戻って来ないのね。わずか3年の月日だったけれど、たくさんの思い出があるわ。」

 

涙を浮かべ、そう言った典子の肩を、好次朗は優しく抱き寄せると、静かに歩き始めた。

 

家も車も売却し、新たな人生をスイスという遥かな異国でスタートさせることに決めた好次朗と典子。

 

今の二人には、不安よりも夢や希望があふれていた。

 

大通りまで歩くと、タイミングよくタクシーを拾い、成田空港まで向かった。

 

すると乗り出して5分も経たないうちに、典子の携帯が鳴り始めた。

 

バッグから携帯を取り出し、電話に出ると、それまでの典子の表情に陰りが見え始めた。

 

「もしもし?誰?誰なの?...もしもし?」

 

隣りにいる好次朗は、すぐに昨日の脅迫電話を思い出した。

 

「典子、ちょっと変わって」

 

好次朗は小声で、そう言うと、典子から携帯を受け取り、言った。

 

「誰なんだ?名乗れないのか?...貴子?貴子なんだろ?」

 

その言葉に、典子の表情は、いっそう緊張感に包まれた。

 

相手は沈黙し、答えなかったが、好次朗が電話を切ろうとした時、ようやく声を発した。

 

「午後4時15分、成田発、チューリッヒ行き。...乗せない。...絶対に。」

 

切れた携帯を耳に当てたまま、好次朗は呆然としていた。

 

「なぜだ?...なぜ俺たちと旅行代理店しか知りえない渡航情報を、知っているんだ?」

 

今度の電話の声も、昨日と同じAIで加工された音声であった。

「ねぇ?」

 

典子が何かに気がついたようで声をかけた。

 

「恵美のこと、覚えてる?」

 

「恵美?...あぁ、典子が高校時代、テニス部で一緒だった子で、この前、うちに来て相談に乗ってもらったよね?」

 

「うん。...あの日以来、なんか不思議なの。」

 

「えっ?...どういうこと?」

 

好次朗は典子の言うことが、よく分からなかった。

 

「実は、あの日以来、私と好次朗さんの会話が誰かに筒抜けになっているみたいに、変な電話が私の携帯にかかってくるの。」

 

「それと恵美さんに、何の関係が?」

 

そう訊くと、典子は言葉を続けた。

 

「恵美ね。...高校卒業して音大に入った時、貴子のお父様から莫大な金銭的援助を受けていたの。恵美は母子家庭で苦しかったから進学を諦めていたのだけれど、友人だった貴子が恵美の才能を絶やしてしまうのは勿体ないって、お父様にお願いして。...そのお陰で恵美は音大を卒業し、東洋フィルハーモニー楽団の一員になれたの。だから恵美は今でも、貴子に尽くしたいって思いが強い。貴子の望みを叶えるためなら、何でもすると思うの。」

 

典子の説明を聞いて、暫しの間、好次朗は考えていた。

 

「貴子の望み。...つまり、貴子の束縛にも似た愛から逃げ出そうとしている俺と典子のスイス行きを阻止する...ってことか。」

 

好次朗がそう言うと、典子が付け加えるように言った。

 

「そして、恵美が、うちに来て相談に乗ってくれたあの日、恵美が私にプレゼントしてくれた赤いチューリップの造花。...私、花瓶にさしてテーブルに飾ったでしょ。...あの花のどこかに、盗聴器が忍ばせてあるとしたら?」

 

典子が、そう言うと好次朗が続けた。

 

「リビングで、俺たちが話していたことは、すべて受信機を持つ者に筒抜けになっていた。...ってこと?」

 

 

典子は好次朗の目を見つめ、うなづいた。

 

「あの造花、どうした?」

 

「恵美からのプレゼントだから、大切に紙で包んで国際便でスイスの新居に送ったわ。」

 

「さすがに盗聴電波は日本までは届かないだろう。でも、まだ典子の憶測にすぎないんだろ?」

 

そう言うと典子は

 

「でも、私たちの情報が漏れるとしたら、それしか考えられない。」と答えた。

 

そうこうしているうちに、タクシーは成田空港の入り口に到着した。

 

好次朗は守るように典子の肩を抱き寄せ、辺りを見回すと、足早に空港のビル内へと入っていった。

 

 

 


 

 

 

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