「韓流スターがそんなに好きなら、この家から出て行け!その韓流野郎と一緒になればいいだろう!」
幸次は、持っていた新聞紙を床に叩きつけると、ソファーから立ち上がり、妻の香苗に向かってそう叫んだ。
テレビで韓流ドラマを観ていた香苗は、夫が突然怒り出したことを理解できず、唖然とした表情で幸次を見上げた。
「何言ってんのよ?急に。...これは私の趣味なの。ただそれだけでしょ?韓流ドラマを観てるだけで離婚しろだなんて、あなた、どうかしてるわ!」
そう言い返した香苗に、幸次は更に怒りを爆発させた。
香苗の両腕を掴み、強引に立ち上がらせると、香苗の目を睨みつけ言った。
「お前の部屋には韓流スター、キム・ジョジョンのポスターが所狭しと貼られ、雑誌もDVDも写真集も全てキム・ジョジョンだらけ。...最近の食卓には和食や洋食がめっきり減り、一昨日の昼はビビンバ、夜はキムチサラダにチゲ鍋、今朝はサムギョブサル、今日の昼はチーズダッカルビ...俺は日本人だ!ここは日本だ!いい加減にしろ!」
幸次の鬼のような形相に、香苗は、おののき、意に反して涙が溢れてきた。
「離して!離してってば!!...そんなに韓流スターや韓国料理が嫌なら、別れてあげるわ!」
香苗は売り言葉に買い言葉で、幸次に向かって、そう言い放つと顔を背けた。
両腕を掴む幸次の手に、更に力が込められていくのを香苗は感じた。
「普段は穏やかで優しいのに、何故、こんなことでムキになっているんだろう?日頃のストレスが溜まっていたのかな?」
不思議と、そんな分析が出来るほど冷静な自分もいて香苗は少し、ほっとした。
やがて幸次の手が香苗の両腕から離れ、怒りの形相は無表情へと変わった。
幸次は床の新聞を拾うと、ソファーに戻し、玄関に向かった。
「夕飯は、いらん。...外で和食を食べてくる。」
幸次は、そう言うと、ドアを開け、出て行った。
「ふん、勝手にしたら!」
香苗は、そう呟き、再び韓流ドラマの続きを見始めた。
その夜、香苗はプルコギを作り、ひとりで夕食を食べた。
食後、お茶を飲みながら韓流映画を観ていると、リビングに電話が鳴り響いた。
壁の時計に目を向けると、午後10時を回っていた。
「どうせ夫が居酒屋で呑み潰れ、迎えに来てくれ!みたいな電話だろう。。。。」
香苗は、そう思いながら受話器を取った。
しかし、相手は警察からであった。
「●▽◇さんのお宅ですか?...こちら※△警察署ですが、お宅のご主人が、いわゆる、ぼったくりバーで店長と支払いの件で喧嘩になり、殴ってしまったらしいんですよ。...一応、傷害事件として扱いますので奥さんにも、お話を伺いたいので署まで来て頂けますか?」
あの夫が、こんな事件を起こすとは思ってもみなかったので香苗の頭の中は真っ白になった。
「わっ...私が韓流にハマってしまったことで、夫が自暴自棄になり、こんなことに。...」
香苗は身分証明書を取りに、二階の自分の部屋へ行くと、壁に貼ってある韓流スター、キム・ジョジョンのポスターと目が合った。
香苗は拳を握り締めると、壁のポスターをビリビリと剥がし、破り始めた。
涙をこらえながら車に乗ると、※△警察署へ向かった。
「あなた...ごめんなさい。...もう二度と、韓流ドラマも韓流映画も観ないわ。キム・ジョジョンも。...」
韓流スターよりも、夫、幸次を選んだ妻、香苗。
涙で滲む街の灯りが、何が一番大切なのかを、香苗に優しく語りかけているように思えた。
懐かしのヒットナンバー
和田 加奈子 「Passing Through」