小百合は病院に行き、彰を見舞うと、その足で東京拘置所へと向かった。
山際に言われた武藤への疑惑を実際に本人から聞いて正す為であった。
そう勇んで東京に着いたものの、拘置所に、いきなり入れる訳がなく、小百合は拘置所近くの空き地から拘置所へ電話をかけた。
すると電話に出た係員から驚くべき返答が戻って来た。
「なんですって!武藤が、拘置所の部屋から脱獄?!」
武藤は拘留されている部屋の天井にバレないように穴をあけ、夜中、屋根裏を通って、拘置所裏手の排気口から、おもてへ逃げ出したという。
脱獄から2週間経った今も、武藤は捕まっていない。
小百合は電話を切ると、あらゆる事が、もうどうでもよく思えてきた。
信じた者に裏切られ、尽くした恩は仇で返される。
小百合は金輪際、武藤とは一切関わらないことを固く胸に誓った。
「彰が退院できたら、彼と二人で、なんとか生きて行こう。」
落ち葉が風に躍る歩道を、ゆっくりと踏みしめながら、小百合は、そう思った。
小百合は彰が入院している茅ヶ崎の病院近くに、宿を取り、毎日、足繫く通った。
まだ若い彰は、医師の想像を超え、見る見るうちに回復していった。
「この調子だと、来週の日曜には退院できそうですね。...怪我の後遺症も今のところ無さそうです。」
担当医は小百合にそう言うと、再びオペ室に戻っていった。
彰は小百合と会話が出来るまでに回復しており、ある日、小百合は思い切って彰に尋ねた。
「ここを退院したら、彰さん、どうするの?...また、幕張のアパートに?」
すると彰は包帯の頭を軽く擦りながら、暫し考え、病室の窓に目をやった。
「もし...もしも彰さんに明確な予定が何も無いのなら...私と一緒に、誰も私達を知らない新しい場所へ行って、暮らしてみない?」
その言葉に驚いたのか、彰は小百合の目を見つめた。
そして、少し間をおいて口を開いた。
「東北での今までの暮らしは、どうするの?...居酒屋も辞めてしまうの?」
そんな彰の問いかけに小百合は、微笑んで答えた。
「これを機に、すべてをリセットしたいの。...今までのことも、すべて忘れて。」
「小百合さん、ありがとう。...俺、とても嬉しいよ。」
そう言った彰の目には涙が滲んでいた。
小百合は布団の中で彰の手を握ると、小さくうなずいた。
先のことは見えない。
でも今の小百合には、この選択しか無かった。
その日の夜、小百合は最終電車で東北の故郷へ、ひとまず帰っていった。
「彰さんと出会うきっかけになった、あの民宿も不動産屋に売却して、これからの足しにしよう。」
車窓から見える日本海の荒々しい波が月夜に浮かぶ度、小百合の心は希望に満ちていった。
【次回へ続く】
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