「もしもし、誰なの?」
電話に出た小百合の声に、ようやく男の声が返答した。
「さ...小百合さん...」
「彰さん?...そうなのね?!」
男の声は苦しそうだった。小百合は、その声の主が彰であるとすぐに分かった。
「今、どこにいるの?!」
小百合の問いかけに彰は途切れ途切れに答えた。
「チガ...茅ヶ崎...の...潮騒公園」
なぜ、そんな所にいるのか小百合には見当がつかなかった。
小百合のいる幕張からは、かなり距離がある。
「ケガをしているの?...それとも具合が悪いの?」
そう訊くと彰は、息を吐きながら答えた。
「はめられた。...小百合さんの弟だと名乗る男に相談があると呼び出され、ここへ来てみたら、複数の覆面をした奴らに殴られてさ。...小百合さん...あれって、本当の弟じゃないよね?」
小百合は驚きを隠せなかった。
なぜ自分の名前が使われたのか?そして犯行に及んだ男は、なぜ彰の電話番号を知っていたのか?
小百合は気持ちの高ぶりを抑えながら、冷静さを意識し答えた。
「彰さん。...私には弟はいないわ。彰さんにも以前、言ったけれど、弟は高校生の時、バイク事故で亡くなっているの。...でも、なぜその男たちは私の名前を使ってあなたを呼び出したのかしら?...そこまで細かい情報を知っている人は、私と彰さん以外にいないはずよ!」
「そ...そう、ですよね。...」
彰がそう答えた時、小百合の脳裏に、二人だけの情報を知り得る、もうひとりの他の人物の顔が浮かび上がった。
「まさか...山際......。」
それは元夫の起こした強盗傷害の件で小百合と東京拘置所へ同行した担当刑事の山際であった。
「小百合さん...誰なんだい?...その人は?」
彰が息も絶え絶えにそう訊くと、小百合は独り言のように「たぶん。...あの男しかいないもの。」と答えた。
あの日、小百合は拘置所へ面会に行く車内で、山際の問いかけに幾つか答えていた。
その中で、刑事である山際を信頼していた小百合は、彰のことも不用意に話してしまっていた。
そして拘置所内への携帯の持ち込みは禁止されていることから、山際が待つ車の後部席ポケットに携帯を置いていったのであった。
「きっと、あの時...山際は私が拘置所内で武藤と面会をしている間、車内で私の携帯を覗き見して、彰の電話番号を知ったんだわ。」
すべての不明点が山際なら可能であることが分かった。
「彰さん。...とりあえず救急車で病院に行くのよ!...私も駆けつけるから。」
すると彰は力のない声で言った。
「小百合さん。...家族のいない俺が消えても、誰も悲しまないし困らないから。...これでいいさ。」
すると小百合は声を張り上げ言った。
「ふざけないで!...家族がいようが、いまいが、命には重いも軽いもないの!どんな命だって同じ重さなの!...彰さん、私の為に生きていて!」
すると彰は暫し無言の後、答えた。
「分かった。嬉しい。...ありがとうね。小百合さん。俺、とりあえず救急車呼ぶよ。」
そこまで答えると、彰は何も言わず、携帯は切れた。
小百合は空腹を忘れ、中華屋の暖簾をくぐることなく、駅に向かって走っていった。
「山際...許さない。...」
小百合の目には、確かな決意のようなものが滲んでいた。
【次回に続く】
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松田聖子 「Caribbean Wind」