「話してくれないか?...なぜ、あんな場所に、あんな男と居たのかを。。」
石畳の通り沿いにある街角の喫茶店で、斜めに射しこむ夕陽を頬に浴びながら、二人は小さなテーブルで向かい合っていた。
「答えたくない。...今は」
美織は、小さな声でそう言うと、胸元に垂れた艶やかな長い髪を、手で背中に送った。
ユタカは、ふ~っと息を吐くと、珈琲カップを口に運び、ほろ苦いひと口を喉の奥へと流し込んだ。
重い沈黙が十数秒ほど続くと、美織は呟くように「まるで取り調べを受けているみたい。。」と言い、上目でユタカの瞳を見つめた。
「自分の恋人が、ラブホテル街で他の男といるのを見つけたら、どんな人間だって怒るさ。...」
ユタカは、周りに店員や客がいないことを確かめた後、小さな声でそう言うと、視線を逸らした美織を鋭く見つめた。
店内のBGMは、いつしかマイケルジャクソンのビリージーンに変わっていた。
「まだ疑ってるの?...」
美織は、窓の外の色づき始めた銀杏並木を見つめながら言った。
「信じたい。...出来ることなら、あんな場面、見たくは無かったよ。..見なければ、こんな辛い想いをせずに済んだのだから。」
ユタカは、そう言うと、目を瞑った。
店のドアが開く度、ノブにかけられた鈴の音が軽やかに鳴り響き、店内は徐々に賑やかさを増していった。
「ねぇ?...この店、出よう。」
居辛さを感じ始めた美織が、ふと、そう言った。
「えっ?...あぁ、そうだね。」
ユタカは美織の気持ちを察し、そう答えると、会計票を手に、レジへと向かった。
「今日は私が払うわ。...この前、パスタとワインご馳走になったから。」
美織は、そう言うと、ユタカの手から会計票を即座に抜き取っていった。
店を出ると、少し早めの木枯らしが吹いていた。
屑籠からこぼれ落ちたコーラの空き缶が、カラカラと音を立て、ビルの根元へと転がってゆく。
「ねぇ、ユタカさん。...今夜、泊まってもいい?」
石畳に長い影を落としながら歩く、ふたり。
美織のその言葉に、いつも通り「いいよ。」と、即答できない自分が、ユタカには、もどかしく、情けなく思えた。
「抱き合えば、それで過ちが許されるとでも?...君は、そんな女なのか?..美織!」
ユタカは沈黙の中で、内心そう叫んでいた。
「無理ならいいの。...ただ最近、一緒にいる時間が、あまりにも少ないから。どうかな?と思って...。」
すると二人の前方に、重たそうな買い物袋を両手に持ち、今にも倒れそうなほど左右に振らつきながら歩いている小柄な老婆の姿が見えた。
ユタカが返事をあぐねていると、美織は老婆に駆け寄り、声をかけた。
「大丈夫ですか?...お持ちします。」
美織がそう言うと、老婆は礼を言い、「そこのバス停から乗って帰るので大丈夫です。」と答え、微笑んだ。
やがて美織は、老婆から買い物袋を受け取ると、ユタカに「あそこのバス停まで、この方の荷物を持って行くから、今日は、ここで!ありがとう。。またね!」と言い、空いてる手を挙げ振った。
一瞬、ポカンとしていたユタカであったが、すぐに駆け寄ると、「俺も行くよ。」と言い、美織が持っている買い物袋を受け取った。
ふたりは老婆に寄り添うように、バス停へと歩いていった。
15分ほどしてバスがやって来ると、ユタカは車内の座席まで買い物袋を運び、美織は老婆を両手で支えるようにして、その席まで案内した。
バスの乗降扉が閉まる前に、ユタカと美織が急いで降りると、走り去ってゆくバスの窓から、老婆が頭を何度も下げているのが見えた。
そんな老婆に美織とユタカは、手を振りながら微笑んで見送った。
「行っちゃった。...」
「あぁ、行っちゃったね。」
遠ざかってゆくバスを見つめながら言う美織に、ユタカもそう呟くと、さり気なく美織の背中に腕を回し、温かな肩を、そっと引き寄せた。
「美織...そろそろ俺たちも帰ろうか?」
「うん。...帰ろ」
肩を抱かれながら、美織は、ユタカの横顔を見つめ、そう答えた。
久しぶりに美織の手料理を、共に食べたユタカ。
その夜、ユタカは美織を問い詰めるようなことはしなかった。
そして美織もまた、その事について、何も語ろうとはしなかった。
ユタカは、己の中にある美織への疑念を消し去ろうとするかのように、美織を激しく熱く愛した。
やがて、抱き締めた腕の中で安らぎに満ちた顔で眠る美織を見つめ、ユタカは今後、何があっても美織のことを信じてあげようと、心に誓った。
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