ショートストーリー974 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」

「結実さん....もう、あなたを離さない。..離したくない!」

 

 

 


いつも無口な友哉だが、感極まってそう言うと、結実をきつく抱きしめた。

 

 

 


「友哉さん、離して。...誰か来るわ。」

 

 

 


二人がいる、夕刻の細い路地裏。

 

 

 

そこに中学生と思しき少年が自転車で入って来るのを見た結実は、小声で囁くように言った。

 

 

 


「別に構いませんよ。...それぐらいのこと。」

 

 

 


友哉の返答は、結実にとって意外なものであった。

 

 

 


結実の気持ちに抗うように、友哉の両腕は益々強く、結実の体を抱きしめた。

 

 

 

 


「あなたが良くても、私は嫌なんです!」

 

 

 

結実の中で抑えていた何かが弾け、先ほどとは違う、きつい口調で言った。

 

 

 

 

 


その瞬間、自転車の少年が二人の横を通りかかると、純情そうなその少年は目を丸くして二人に目を向け二、三度振り返りながら、走り去っていった。

 

 

 

 

 


友哉は、ようやく腕の力を抜き、結実から手を離すと、バツの悪そうな顔で頭を掻き、微かに瞬き始めた星を見上げた。

 

 

 

 

「すいません。...」

 

 

 

 

友哉は小さな声でそう言うと、怒られた子供のような眼差しで、結実を見た。

 

 

 


「謝らないでよ。...」

 

 

 


「えっ?...」

 

 

 

思いも寄らぬ結実の言葉に、友哉はハッとし、思わず声を漏らすと結実の目を、じっと見つめた。

 

 

 

 

 

「勝手に抱きしめといて、謝らないでよ。...惨めになるじゃない。」

 

 

 

 


結実は、乱れたブラウスの胸元を手早く直すと、そう言って友哉の手を、さり気なく握った。

 

 

 


「さっきの言葉、本気なの?」

 

 

 


「本気ですよ。...あなたを離したくない。..というか、離れられないんです。」

 

 

 


友哉の言葉は結実にとって、新鮮に感じられたが、一過性のもののようにも思えた。

 

 

 


「中身の伴わない上辺だけの言葉なら、いくらでも言えるわ。...この国の政治家みたいにね。」

 

 

 

 


結実は軽く握っていた友哉の手を一旦離すと、横目で友哉を見つめ言った。

 

 

 


「今日のあなたは、少し意地悪ですね。...でも、あなたが何と言おうとも、私は結実さん、あなたのことが大好きです。...私と私利私欲にまみれた嘘つきな政治家を一緒にしないでください。..私の愛は、本気ですよ。」

 

 

 

 


友哉は、熱い眼差しでそう答えると、離れた結実の柔らかな手を握った。

 

 

 

 


「このまま、友哉さんの女になってしまいそう。。。」

 

 

 

 

心のどこかで、僅かに拒絶しながらも、友哉の想いに身を委ねてしまいたい自分を、結実は感じていた。

 

 

 

 


「さぁ、行きましょう。...あの通りに出れば、食事処もたくさんありますから。...」

 

 

 

 

そう言う友哉に手を握られ、結実は逆らうことなく、隣を歩いていった。

 


手を繋ぎ、友哉の隣りを歩く気分は、思いのほか安心感と充足感に満ちていた。

 

 

 


「結実さんの手、すごく温かい。...とても安らぎます。」

 

 

 

 


友哉が呟くように言ったその言葉を、結実は、一番素直に自然に受け入れることが出来た。

 

 

 

 


「今度できたあのお店、なんか雰囲気も良さそうですね。..結実さん、何が食べたいですか?」

 

 

 

 


友哉が通りの斜向かいにある和食の店を指さし、言った。

 

 

 

 


「和食ねぇ...」

 

 

 

 

「それじゃ、洋食にしましょうか?」

 

 

 

友哉は、立ち止まって隣りの結実に振り向き、そう言うと、結実の言葉を待った。

 

 

 


「焼肉でも、中華でも、何か食べたい物、言ってください。...お好み焼きでもいいですよ。」

 

 

 

 

 

なかなか答えない結実に、友哉は優しくそう言うと、繋いでいる結実の手を、ほんの少しだけ自分のほうへ引き寄せた。

 

 

 


「そうねぇ。...今夜は、ちょっと冷えるから、お鍋にしない?」

 

 

 


結実のその言葉に、友哉は頷きながら、「鍋料理ですか。..いいですね。...でも、この辺には生憎、鍋料理をやっているお店、ないんですよねぇ。」と言い、口をへの字にした。

 

 

 

 

 

 

「無くったっていいじゃない?...私が作ればいいんだから。..今度、お友達と食べようと思って材料も、ちょうど二人分、用意してあるの。それでいい?」

 

 

 


思いがけない結実の誘いに、友哉は嬉しさで舞い上がりながらも「はい!」と、即答していた。

 

 

 

 


結実のアパートに向かうタクシーの後部席で、友哉が隣りの結実に訊いた。

 

 

 


「お友達と食べる為に用意した材料なのに、いいんですか?」

 

 

 

 


すると結実は、友哉から視線を外し、車窓の外に目を向けると、横顔に笑みを浮かべ、小さな声で答えた。

 

 

 

 

 


「いいの。...だって、お友達より、恋人に食べてもらいたいから。...」

 

 

 

そう答えた結実の頬が、ほのかに桜色になったような気がした。

 

 

 

 

 


青と白のイルミネーションが沿道を飾る大通りを、二人のタクシーは、軽やかに走り抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

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