ショートストーリー634 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
どんなに険しく高い壁が立ちはだかっていても、あきらめ切れない愛がある。。。

その女に夢中の男達が山ほどいることぐらい、その男には分かっていた。
その一人の女を、世の男達が我がものにしようと競い、せめぎ合っていることを。

男達の中には、地位や資金力のある男もいれば、世間の片隅で細々と生きている男もいる。 
多種多様な男達を魅了する女。。。それがマユコであった。

マユコに秘められている魔性と知性と美貌が、男達の奥底に眠っている欲望を呼び覚ます。

この世には思い通りにならない愛がごまんとあり、育つ以前に終わってしまう愛も無数にある。

それでも、ジプシーのごとく愛を求めて彷徨い続ける人もいれば、愛を幻想に代えて、あきらめる人もいる。


マユコは言う。

「純粋な愛など存在しない。純愛は創作された空想上の綺麗ごとに過ぎず、現実世界の男女の愛は欲望と打算が絡み合い、愛なのか欲望なのか判然としないものなのかもしれない」と。

欲望や打算から始まった愛が、計らずも、いつしか本気の愛に変わってゆく。。。

人間という不確実で流動的な存在が織り成す愛もまた、流動的で実に不確実な危ういものである。


世知辛い現実と穏かで寛大な想像の狭間で、駆け引きを繰り返しながら、やがてバーチャルな愛を現実の愛へと変えることが出来る類稀な能力を持つ男だけが、真実の愛を手に入れることが出来ることを、マユコと、その男だけは知っていた。。。


年数回ほど行われるファッションショーでモデルの仕事をしていたマユコは、たまたま見に来ていた映画界の巨匠、白阪順造に見初められ、女優の道へと進むことになった。

女優として生きてゆく為のノウハウを、白阪は日々、マンツーマンでマユコに伝授していった。


久しぶりのオフを迎えたある日、マユコは昔の恋人、亮二と偶然、街で再会した。亮二は昔と変わらず気さくで爽やかな男であった。

亮二は茅ヶ崎で、建築設計の会社を営んでいた。わずか3人の会社ながら、その確かな仕事ぶりが口コミで広がり、次々に顧客が増えていた。


羽振りのいい暮らしぶりが伺える仕立ての良いスーツと、高価なサングラス。そのサングラスの奥で微笑む優しげな瞳。


しかし今となっては、もはやマユコの心が亮二に傾くことなどなく、マユコは亮二に外交辞令の挨拶を交わすと、足早に去っていった。


「マユコ、一段といい女になったなぁ。....もう一度だけ、アバンチュールを楽しもうかと思ったが、あっさり却下されてしまったようだ」


白いタイトスカートを穿き、ハイヒールの音をリズミカルに鳴らしながら去ってゆくマユコのセクシーな後ろ姿を見つめながら、亮二は心でそう呟いた。


その日の夜。。。

スパンコールが煌く赤いドレスを身にまとったマユコの姿が、都内某ホテルの結婚式場にあった。

10年来の友人ヨシコが、苦難を乗り越えながら長年の交際期間を経て結ばれたことを、マユコは自分の事のように喜んでいた。


マユコの潤んだ瞳には、花嫁となったヨシコの笑顔が眩しく映っていた。。。

披露宴を終え、私用の為に一足先に帰るマユコは、ヨシコの手を取って言った。

「絶対に、絶対に幸せになってね。...これまでの事が笑い話に思えるぐらい、幸せになって欲しい。...ヨシコには、その資格があるの」


マユコの手の温もりと、真っ直ぐな眼差しが、その言葉を一層強く熱く感じさせた。


「マユコこそ、本物の幸せを手にして欲しい。...私たち、これからも今までと変わらずにいましょうね。..いつでも新居に遊びに来て!」


ヨシコは感極まりながらも、マユコの手を強く握り返し、そう答えた。マユコの瞳からは、今にも水晶のような滴が零れ落ちそうになっていた。



数日後...。白いパンツスーツ姿にサングラスをかけ、トランクケースを手に空港ロビーを歩くマユコがいた。

「成田発、クアラルンプール行き...搭乗ゲートが開くまであと40分。...マモル、来てくれるわよね?」

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発着案内板を見上げながら、マユコは小さな声でそう呟いた。マモルとは、この日初めて会う。初めて会う男と、いきなり海外旅行。。。。


そんなマユコを、世間は非難するかもしれない。しかしマユコとマモルの間には、誰の思いも及ばないほど強い信頼と愛が、すでに育まれていた。



「白阪先生、ごめんなさい。...せっかく女優という道を与えてくださったのに、結果的に裏切るような真似をして。...でも、彼と逃避行することでしか、今の私が生きてゆける道はないのです。...この社会は私にとって息がつまりそうなほど生きづらくて。...」


マユコは、そう思いながら唇を噛み締めていた。


搭乗ゲートが開き、待合室の人々が次々と機内へ向って歩き出した。マユコは辺りを見回しながら、まだ見ぬ最愛のマモルを探した。。。


手にしている航空チケットの座席ナンバーに続く番号の航空チケットを持って、マモルがここに現れるはず。...マユコの胸は不安と期待で高鳴っていた...。



やがて陽光を浴びて銀色に輝く機体が、赤道直下の国へ向けて飛び立っていった。。。



一ヵ月後...。


ヨシコの新居に、一通のエアメールが届けられた。

白い便箋には、マユコ直筆の活き活きとした言葉の数々が並んでいた。そして、同封された一枚の写真には、白シャツにジーンズ姿で優しく微笑む長身の男と、寄り添うようにもたれ掛かるマユコの姿が写っていた。

男に肩を握られたマユコの表情は、今まで見たことがないほどの安らぎを湛えていた。


「やっと見つけたのね。...あなたの心の居場所..」

嬉しそうに微笑みながら写真を見つめ、ヨシコは心からそう思ったのであった。







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