ショートストーリー631 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
雨が降り続く夜。

首輪のない汚れた一匹の犬が、よろめきながら道を渡り、林の中へ消えていった。

以前、飼っていた愛犬に似ていたが、もう4年も前に他界している。それでもシゲルは気になって、車を路肩に停め、林の方を見つめた。

フロントガラスに打ちつける雨を、ワイパーが単調なリズムで弾いてゆく。。シゲルは前方に視線を移すと、ある男を思い出した。

まだ小犬だった愛犬を、シゲルに預けたあの男のことを。。。



その男は、訳あってこの町に住み始めた。男は日雇いで道路工事の仕事をしていた。ある日、アパートに帰る途中、ダンボール箱に入れられ空き地の片隅に捨てられていた雑種の小犬を、偶然通りかかった男が見つけ、連れて帰ったのだった。

男が住んでいたアパートは、一本の廊下を挟んで両側に6つの部屋が並んでいる、古い形式の建物であった。


そのアパートでは、犬や猫を飼うことが禁止されていた。それを充分承知の上で、男は小犬を連れ帰ったのであった。


ロングコートのポケットに体を入れ、顔だけをちょこんと出している小犬。時折、男の顔を見上げては、円らな目を細め、あくびをした。


「とりあえず、大家にだけは見つからないようにしないとな。...」

小犬と視線を合わせると、男は言い聞かせるようにそう呟いた。


小犬は男の心を察知したかのように、吠えることなく静かに男の部屋で過ごした。

一日に3つの仕事を掛け持ち、夜も明けきらぬ早朝から深夜まで働きづめの男は、常に小犬を同伴していた。

物流倉庫、焼鳥屋、道路工事...仕事中は近くの木や杭に小犬のリードを結んで繫ぎ、待たせていた。


ある日、仕事場から出てきた男は、自ら杭に繫ぎとめた小犬が怯え震える姿を見つめ、ようやく己のしてきた事に気がついた。


「こんな自分勝手な飼い方は、小犬にとって決して幸せなことではなく、むしろ虐待と同じではないか?」と...。


男は小犬と共に仕事場へゆくのを、やめることにした。かといって、アパートの狭い部屋に小犬を閉じ込めておく訳にもいかず、思い悩んだ末、男は決断した。


「あのアパートを出て、一緒に北へ向おう。...なぁ?相棒」

男は震える小犬を優しく抱き上げると、小犬の体をコートで覆い、外灯が照らす歩道を、ゆっくりと歩き出した。


間もなく降り始めた冷たい雨を気にすることなく、男は愛しげに小犬を抱きかかえながら、廃車寸前のような愛車が停めてある駐車場まで歩き続けた。

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「もうじき、この街にも、捜査の手が伸びてくるだろう。...俺は捕まらないぜ。どこまでも逃げ切るつもりだ。..相棒、お前は俺に、ついて来てくれるよな?..」


男は小犬にそう語りかけると、塗装が剥げたワーゲンに乗り込んだ。


余命間もない親友が犯した罪を背負い、逃げ続ける無実の男。残された僅かな人生を、牢獄の中で過ごさせたくない。...そんな歪んだ正義と友情が、この男を突き動かしていた。。。


一人と一匹を乗せたワーゲンは、咳き込むように白煙を吐きながら、真夜中の濃い闇の中へと消えていった。。。。



男が知人からの手紙で親友の死を知ったのは、それから半年後のことであった。老いた母と数人の親戚だけで、しめやかに葬儀が営まれたと、手紙には書かれていた。


「もう、サツから逃げる必要もなくなった。...あいつは牢獄でなく、自分の生まれた家で死ねたんだ。..それだけで、俺はいい。..相棒、お前とは暫しの間、お別れだ」



男は生涯、偽りの犯罪者として逃げ続けることを諦め、無実ながらも自首することに決めたのだった。


自ら進んで冤罪の被害者となり、刑に服する。...それは男にとって、かけがえのない亡き親友に対するレクイエムであった。。。。



男が親友の罪を背負い、自首したあの日も、今夜と同じように、冷たい雨が降り続けていた。。。。








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