ショートストーリー550 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
夕暮れ時の街は、どこか忙しなく、そして寂しい。夕焼け空を森に向って飛んでゆくカラスの姿。落ち葉が風に飛ばされ、地を這う時の乾いた音。遠くから漂ってくる焚き火の匂い。。。視覚、聴覚、嗅覚、触覚で受け取るこの街の夕刻風景は、心渇き冷めていた私の心を鋭く揺さぶった。。。

特に晩秋から初冬にかけて、この街は、そんな心象的ともいえる香りを色濃くするのだ。。。

そんな街の中で、存在すら忘れられたような人々が、確かに強かに明日の陽射しを待ちわびながら生きている。

寂しさとか、不安とか、焦りとか...人は自分の中にある不確実な得体の知れない魔物と、常にせめぎ合い、時に妥協しながら生きている。

私には、そう思えてならない。。。


私が偶然、この街に降り立った3年前。。。季節はちょうど、今と同じ冬であった。ただ、今年の冬よりは幾分、暖かかった気がする。

それは気温のせいだけではなく、その時の私の心理状態によっても若干、体感温度は変わってくるのであろう。

偶然の出来事...それは、本当に偶然なのか?私は、あの日以来、暫しの間、その事を考え続けていた。。。

$丸次郎「ショートストーリー」

女の名は、幸子といった。

「幸せな人生を..」親は、そう願って名づけたに違いない。私は、幸子が営む小さな手芸店で、愛娘の為にフェルト生地で出来たハート型の財布を購入した。


店内には手芸用品のみに留まらず、幸子が作ったドールや子供服、小物入れや、ビーズアクセサリーなどが所狭しと無造作に陳列されていた。。。


こういった類の店に、いい歳をした男が一人で入ってくるのは珍しいらしく、店の奥にいた幸子は、私と目が合うと一瞬、気まずそうな顔をした。


「どうも...あのう..小さくて可愛い感じの小銭入れ...ないですかね?」

私は一通り店内を見回した後、何となく沈黙が気恥ずかしくて、幸子にそう尋ねた。


私の声に幸子は、若干の警戒心を携えながら近づいてきた。

「失礼ですが、お客様がお使いですか?」

「いいえ...小学4年生になる娘の誕生日プレゼントにと思いましてね...」

私の隣に立つ幸子の顔は、私の胸ほどの高さにあり、間近で見ると色白で純日本的な美しい顔立ちをしていた。
私は己を律するように唇を噛み締め、視線を陳列棚の小物へと移した。

すると幸子は、急に口元に手を当てて笑い始め、涙で潤んだ目を私に向けて言った。

「うふふふっ、、そうですよね...うちの店にあるような可愛らしいお財布、大人の男性がお使いになる訳ないですものね...うふふふっ」


「ええ...私みたいな無骨な男がポケットから、こんな可愛らしい財布を取り出したら、店員もズッコケるでしょうね...ふふっ(笑)」

滅多なことでは笑わない私も、幸子の屈託のない雰囲気に導かれ、思わず微笑んでしまった。

「なんか、お客様...面白い方...」


「そうですか?...私が...」


「ええ!...ユーモラスですわ」


「それって...褒め言葉..ですか?」


「ええ!勿論です...お客様をけなす様な言葉、私、絶対に言いませんもの」


「なるほど...なにやら複雑な心境です」


私は妻以外の女性から面白いなどと言われたことはなく、少し新鮮な感じであった。また、幸子の意味ありげな言い回しを、心のどこかで楽しんでいる私がいた。

幸子は狭い店内のあちこちから、娘に良さそうな財布を取ってきては、小さなテーブルの上に並べた。


色とりどり、様々なデザインの手作り財布たちが、静かに自己主張をしながら、私の選択を待ち望んでいるように見えた。

「これ、みんな、あなたの手作り?」

「ええ...趣味と道楽で始めた手芸が、いつの間にか商売になっちゃいまして(笑)。。。どうぞ、お手にとってご覧ください」

肌触りが優しく、触れた手と心に温もりを与えてくれる、そんな財布たちであった。。。それは、どことなく、作り手である幸子の心が乗り移っているような気がした。


「じゃぁ...このピンクの財布をください」迷った挙句、私は一番大きめの財布を選んだ。

「ハート型のですね?...これならお嬢ちゃん、きっと喜びますわ」


一期一会...。娘へのプレゼントを買い終えて店を出た時、私は、もうこの女性と顔を合わす事は、ないだろうと思っていた。


慣れ親しんだ私と娘の二人暮らしは、やがて幸子と私たちの三人暮らしへと変わった。。。

当てもなく適当に降りた駅で、当てもなく見知らぬ街を彷徨い、やがて当てもなく入った手芸店。そこで出会った未亡人、幸子。


娘のプレゼントに買ったハート型の財布は、父子家庭だった我が家に、かけがえのない母の愛情と、愛妻を、もたらしてくれた。。。。



偶然....。

それは、彷徨える人間の無意識と無自覚の心に突然咲く、運命という名の花...なのかもしれない。。。。








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