ショートストーリー519 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
テレビ局の新人キャスターである絵梨奈は、新体操選手への取材が予定よりも早く終わった為、いつもより早く退社し、待ち合わせ場所であるレストランへ向かった。。。

今日、取材の合間に、昔の恋人である悠太へ、誘いのメールを打った絵梨奈。そのメールを読んだ悠太は、今、恋人と上手くいってないこともあって、なんとなく絵梨奈の誘いに応じたのであった。。。


都心にありながら、世間には、ほとんど知られていない隠れ家のようなレストランの個室。。。絵梨奈の指示どおり、悠太は店員に自分の名前を告げると、その個室に通されたのであった。。。


悠太が個室に入ると、すでに絵梨奈が背筋を伸ばし姿勢良く椅子に座って待っていた。悠太と目が合うと、以前と変わらぬ愛くるしい笑顔を見せた絵梨奈に、悠太は安らぎを覚えたのであった。


悠太は都内の銀行に勤務していたが、今春行われた大手銀行による吸収合併の煽りを受け、弾き出されたのであった。その後、悠太は派遣社員として、ビルメンテナンスの仕事に従事していた。

それが理由ではないが、恋人との関係も最近、思うように進展せず、悠太は焦りと苛立ちを感じるようになっていた。絵梨奈の笑顔は、そんな悠太の心に蝋燭の炎のような温かさを与えてくれたのだった。


「悠太君、お久しぶり!..急に呼び出してごめんね。。。」

「ううん、俺も、絵梨奈のことを思い出しては、今頃どうしているのかと、時折思いを馳せていたんだ。。。だから今日、絵梨奈からメールが来た時は、正直嬉しかった」


二人は再会すると、すぐに打ち解けることが出来た。会わずにいた一年半のブランクは、瞬時に消え去っていた。。。

そんな自分に戸惑う悠太を尻目に、絵梨奈はボーイを呼ぶと、予約しておいたコース料理を運ぶよう伝えた。


「絵梨奈、いつも、こんな高級店で食べてるの?しかも特別室だろ?ここ。。。」いつも庶民的な店を利用している悠太が、嬉しそうに室内を見渡しながら言った。


「そんなことないわ。。。今日は特別。。いくらテレビ局のキャスターっていっても、私は、まだまだ新人扱いだし。。そんなに贅沢ばかり出来ないよ。。これでも普段は、真面目に自炊してるんだから」

絵梨奈は運ばれてきたワイングラスを手に微笑みながら、そう答えた。

悠太が、いまだかつて見たこともない高級ワインの栓をボーイが抜くと、二人のグラスに静かに注ぎ始めた。

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「二人の再会に乾杯。。。」

絵梨奈は口元を緩ませ、思わせぶりな視線を悠太に向けながら、そう言った。悠太は、そんな絵梨奈に導かれるようにグラスを響かせ、乾杯をした。


「ところで絵梨奈、、どうして急に俺と会おうなんて思ったんだ?..単なる思いつき?」

伊勢海老のオードブルを食べながら、悠太が言った。その言葉に、絵梨奈は唇を閉じたまま微笑むと、ワイングラスを口に運んだ。

そんな絵梨奈の仕草を見つめながら、悠太もワイングラスを手に取り、口に含んだ。


「悠太君...もう一度、やり直してみない?私と。。。」

思いがけない絵梨奈の言葉に、悠太は思わずワインを吹き出しそうになり咳き込んだ。そんな悠太を絵梨奈は黙って笑みを浮かべ見つめていた。


「おい、絵梨奈...ワインを飲んでいる時に、きつい冗談言うなよ!..あ~、びっくりした」


「冗談?...誰も冗談なんて言ってないけど?」そう言った絵梨奈の表情は、先ほどと異なり真剣な
表情になっていた。


「絵梨奈...本気なのか?..本気で、そんなことを言ってるのか?」悠太は、絵梨奈の円らな瞳を見つめ、そう言った。


「ええ、勿論。。。今日、悠太君をここに呼び出したのは、その答えを聞きたいからよ。。この個室なら、万が一、この店に知り合いや芸能ゴシップ記者が紛れ込んでいても、聞かれる心配ないでしょ?」

絵梨奈は悠太とは対照的に、落ち着き払った表情で余裕の笑みを浮かべながら、そう言った。絵梨奈のピンクの唇に塗られたリップグロスが、室内照明に反射して妖艶に輝いていた。


「絵梨奈...お前、、俺が今、誰と付き合っているのか分かって、そんなことを言ってるのか?」

悠太は、眼前のフィレステーキに目もくれず、絵梨奈を真っ直ぐ見つめて言った。


絵梨奈は、そんな悠太の視線をかわすと、耳元のイヤリングを付け直しながら言った。

「悠太君の今の彼女、、前田先輩でしょ?...私にとっては憧れの先輩キャスター、前田沙和子...ふふっ(笑)、、悠太君、今、前田先輩と、うまくいってるの?」

絵梨奈は意味深な笑みを浮べながら、悠太に訊いた。まるで悠太と沙和子の様子を知っているかのような口調であった。


「そんなこと、絵梨奈には関係ないだろ...沙和子と俺の問題だ」
悠太は絵梨奈の言葉に、やや感情的になりながら、そう言った。悠太の心は、まるで絵梨奈に弄ばれているようであった。


「そんな話をする為に、わざわざ俺を、ここに呼んだってわけか?...俺は絵梨奈と、よりを戻す気はない。俺には沙和子がいるんだ。。。冗談じゃない」

笑顔が消えた悠太の言葉を、テーブルに両肘をつき、手のひらに顔を載せて訊いていた絵梨奈。。やがて、瞳を天井に向けると、姿勢を正して言った。


「ふ~~ん。。。私、悠太君から二度もフラれたってわけね。。。うふふふ(笑)...でもね、悠太君。。。私、今度は簡単に引き下がらないから。。前田先輩から、、、前田沙和子から、悠太君を取り返してやるから!。。。うふふふ(笑)」


酒に強い絵梨奈が、一杯のワインで酔っているとは到底思えなかった。笑みを浮べながら、悠太に向かって言い放った絵梨奈であったが、その目は笑っていなかった。。。


「絵梨奈...沙和子は、俺と絵梨奈が過去に付き合っていたこと、知っているのか?」


「ううん、知らないよ。。。私、内緒にしてる。。。悠太君だって、前田さんに知られたくないでしょ?..私との過去。。。でも、悠太君が私を拒否し続けるなら、、、私と悠太君の過去のこと、前田先輩に教えちゃおうかなぁ~、、、あははっ、うふふふ(笑)」


「絵梨奈...お前、俺のこと脅してるのか?」

「脅してなんかいないよ。。。ただ、私は悠太を取り戻したいだけよ。。。」

そう答えた絵梨奈の鋭い眼差しを見て悠太は、絵梨奈が沙和子への対抗心を、むき出しにしているように思えたのであった。

悠太が知らない沙和子の姿を、同僚の絵梨奈は知っていた。。。。沙和子のその姿を、もし悠太が知ってしまったら、悠太と沙和子の恋は破局へと向かうことを、絵梨奈は確信していた。

一見、悠太を沙和子から奪い取ろうとするような激しい絵梨奈の恋心だが、実は絵梨奈の心は、悠太を沙和子から守ってやりたいという、切ない想いから生じていた。。。


気を悪くした悠太は、テーブルに数枚の紙幣を置いて席を立ち、レストランから去って行った。。。

絵梨奈は、一人残された特別室で、閉店になるまでワインを飲み続けていた。。。










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