ショートストーリー518 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
もうすぐ、この町にも冬がやってくる。誰が、どんなに抗おうとも季節は巡り、人の心も穏やかに変えてゆく。。。

駅前から続く古いメインストリート。電車を降りて家路を急ぐ人々を、真っ赤な夕陽が照らし、アスファルトに様々な影を映し出している。誰も言葉を発することなく、ただ枯葉が流れゆく道を反射的に歩いてゆく。。。

$丸次郎「ショートストーリー」

そんな人々の群れの中に、今日も正樹の姿があった。いつもの電車で帰ってきた正樹は、この小さな町で生まれ育った。卒業と同時に都会へと出て行った仲間たちを羨ましく思いながらも、正樹は隣町にある自動車工場で職工として地道に働き続けていた。。。


「律儀に、あの部屋へ帰っても、誰かが待っているわけでもない。。。ドアに鍵を差込み開けると、照明のスイッチを押し、洗面台で手を洗い、風呂に湯を引く。そして冷蔵庫から缶ビールを取り出す。。。そんな流れ作業を、俺は、もう何年続けているのだろう?」

店を閉めて半年が経つ駄菓子屋の前で立ち止まり、灰色のシャッターを見つめながら正樹は、そう思った。


なにげなく腕時計に目をやると、正樹は久しく行ってない焼き鳥屋へ足を向けた。メインストリートから目立たない路地に入り、その突き当たりにある焼き鳥屋は、正樹の祖父が子供の頃から営業している老舗であった。

店の正面にある大きな出窓では、若旦那が焼きたての焼き鳥を販売していた。その隣にあるガラスの引き戸を開けると、中は持ち込みOKの飲み屋になっている。焼き鳥屋であることは知られているが、店の入り口には暖簾も看板もないので、地元の人間でさえ、いまだに、ここが焼き鳥屋、兼飲み屋でもあることを知らない人が多い。


正樹は店内に入ると、カウンターの入り口側の席に座った。以前来た時と同様、客は疎らであった。
くたびれたスーツを着こんだ中年の男性がビールジョッキを握り、店の隅にある小型テレビを時々見上げながら鳥皮を食べている。

近所の常連らしきお爺さんが、自ら持ち込んだスルメを口にくわえながら競馬新聞を見つめている。

壁に貼られた生ビールの宣伝ポスターには、昭和後期にブレイクしたキャンペーンガールが、20数年もの間、この店内で商売用の笑顔を振りまいている。


正樹が店内を見渡していると、カウンターの向こう側の小さな厨房から店主が、のんびりとした雰囲気で現れた。

以前、この店に来た時は風邪で休んでいた店主。正樹は今回初めて店主と会った。

「いらっしゃい。。なにか、飲みます?」
店主は、もうじき80歳になると思われるお爺さんだが、背筋をピンと伸ばし、どことなくダンディな雰囲気があり、渋い声をしていた。


壁に貼られた数枚の短冊には、メモ書きのような字でメニューが書かれてあった。正樹は、一番右に貼られている短冊に書かれてある「おまかせコース・千円」を店主に注文した。


「はい、少々お待ちください。。。」店主は目じりに沢山のシワを作りながら笑顔で、そう言った。

「バカ!...かぁ~~、情けない」

その声を発したのは、テレビでプロ野球のナイター中継を見ていた先ほどの中年男性であった。静かな店内だけに、その声は正樹を一瞬、驚かせた。


競馬新聞を見ていた常連らしきお爺さんに目を移すと、いつの間にかカウンターに肘をついて居眠りを始めていた。眼鏡が鼻からずれ落ちそうになりながらも、気持ち良さそうな寝顔であった。


やがて店主が、またものんびりと厨房から出てくると、正樹の前に中ジョッキの生ビールとモツ煮込みが盛られた小鉢を置いて言った。

「はい、どうぞ...今、焼き鳥焼いてますからね。。。」

「そうですか。はい、頂きます」正樹は微笑んで、そう答えると、キンキンに冷えた生ビールを喉を鳴らしながら飲み始めた。

唇に付いた泡を手で拭うと、店の引き戸が開く音がした。

「ガラガラガラ~~」

正樹はジョッキ片手に引き戸のほうへ視線を向けると、赤いレザージャケットを羽織ったロングヘアの女性が長身の男と共に店内に入って来たところであった。


正樹は視線を戻して、モツ煮込みを食べ始めた。少し甘めの味付けだが、数回噛むうちに口の中でとろけてゆくほど柔らかく煮込んであり、絶品であった。


二口目のモツ煮を口に運んだ時、正樹の頭が何かを思い出した。

「さっきの女...どこかで見たことがあるような...」

正樹は、もう一度、奥の席に座った先ほどの男女に目を向けた。男と談笑している女性の横顔をよく見た正樹は、ようやく思い出したのであった。


「あれ、植田さんじゃないか。。あいつ、たしか二十歳頃に、中学時代の同級生アツシと結婚したんじゃなかったっけ?...あの隣にいる男は、どう見てもアツシじゃないよな。。。」


正樹と植田は、中学、高校が同じであった。しかしクラスが違っていたこともあり、正樹とは顔見知り程度の関係であった。植田と結婚したアツシは、正樹の中学時代の友人であり、正樹は二人の結婚式にも出席していた。


「なんだか、見ちゃいけないものを見ている気分だな。。。もう結婚から十数年経ってるし、その間、こいつらに何があったかなんて知らないし。。もしかして俺は浮気現場に居合わせているのか?」


正樹は、後ろめたい事をしている訳ではないのに、なぜか二人に見つからないよう、体を逆方向に向けて飲み始めたのだった。


すると厨房から店主が、ニンマリと微笑みながらやって来て、熱々の焼き鳥が6本盛られた皿を正樹の前に置いた。

「レバーに、もも肉、軟骨に手羽先、皮にハツ。。レバーは熱いうちに食べてね」
そう言い残すと店主は、先ほどの男女のほうへ向かい、声を掛けた。

「アヤちゃん、いらっしゃい。。。今日は焼き鳥デートかい?」店主のその言葉に、二人は微笑んで答えていた。


正樹は、レバーを噛んでいた口の動きを止めた。

「アヤちゃん?...植田の名前は、アヤじゃないよな。。。えーっと..たしか、植田サチエだったな。。。」

自分の見まちがい、人違いだったと分かり、正樹は、ホッとした気分になったのだった。


「世界には、自分にソックリな容姿の人が3人いるって聞いたことがあるけれど、植田にとって、その一人が、あのアヤっていう女性なんだろうなぁ。。。」


正樹は、そんなことを思いながら、塩味の効いたもも肉を頬張り、ビールを一気に飲み干した。。。


その時、店内の壁に掛けられている年代物の大きな振り子時計が、優しく時報を鳴らし始めたのであった。。。









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