年末の街は、いつになく忙しく慌しい空気が漂っていた。そんな街の中で、孤独に、ひっそりと生きているヒロシは、アパートの一室で貯金通帳を眺めながら、カップ麺を啜っていた。
ヒロシの溜め息が、カップ麺の湯気と絶妙に混じり合いながら、古びた化粧板の貼られた天井へと立ち上っていった。。
高校の卒業祝いに祖母から貰った腕時計の長針が、ビデオデッキに表示されている時刻よりも5分遅れて、午後1時を指した。
「さて、、行って来るか。。。」そう言うと、ヒロシは仕方なく重い腰を上げ、ハンガーに掛かっている作業用ジャンパーを羽織り、電気ストーブのコンセントを抜いた。
ドアを開けた瞬間、身が縮むような寒風を全身に受けると、ヒロシは首をすくめながら、ドアに鍵を掛けた。
アパート外階段の下にある郵便ポストには、相変わらずサラ金のチラシが数枚入っていた。ヒロシは、それらを素早く抜き取ると、見ることもなく丸めてゴミ入れに投げ込んだのだった。
ヒロシが向かった先は、一ヶ月前から働き始めた、ビルの建設現場であった。
IT企業のエンジニアだったヒロシは、今まで肉体労働系の仕事は一切したことがなかった。しかし、会社が倒産してしまった以上、違法なもの以外は、どんな仕事でもやる覚悟でいた。
未払いのローンも、まだ残っていたヒロシは、とにかく時給の高いバイトを探していた。そんな矢先、知り合いに紹介され、今の建設現場でバイトを始めたのであった。。。
高所恐怖症のヒロシは、地上10mの高さにある鉄筋の上を歩くことさえ、ままならなかった。また、建材を運んでいる間にぶつけて出来たアザが、体のあちこちにあった。
そんな不慣れな仕事の中で、唯一の楽しみは、建設現場の近くにある弁当屋で、のり弁当を買うことだった。なぜなら、その弁当屋の看板娘が、めっぽう美人で愛嬌があり、ヒロシの好みのタイプだったからである。
日が暮れて仕事が終ると、首に掛けたタオルで、汚れた顔を拭い、真っ先に弁当屋へ向かうヒロシ。
ヒロシ意中の看板娘の名はマリコといい、ヒロシよりも、ひと回り年下の女子大生であった。そこまで年下の女性に惚れたことなど、今まで一度もなかったヒロシであったが、なぜかマリコを一目見た時から、釘づけになってしまったのだった。
「いらっしゃいませ!お疲れ様です。。」
弁当のサンプルが陳列されたガラスケースの上から、小柄なマリコが顔を覗かせ、笑顔で言った。
いつも決まった時間にやって来るヒロシを、マリコは、すっかり憶えていた。マリコと目が合うと、ヒロシは年甲斐もなく恥ずかしそうに微笑み、弁当のサンプルを見渡した。
「今日も、のり弁じゃないの?。。たまには、ステーキ弁当なんか、どうですか?」
歳が離れたヒロシのことを、どこか兄のような感覚で見ているマリコが、無邪気な笑みを浮かべながら訊いた。
「ステーキ、、、弁当?そんな豪勢な弁当、ここにあった?」
なんとなく、マリコと調子が合ってきたヒロシが、やり返すように、とぼけた顔で訊いた。
「まっ、失礼な~!ウチにだって、ステーキ弁当ぐらいありますよ~!のり弁の上の棚の、一番右側を見てください!」
マリコは、細く剃った眉をつり上げ、口を尖らせながらそう言った。しかし、その瞳は優しさを湛えていた。
「え~っと、、、あっ、ほんとだ!ステーキ弁当、、、きゅ、、きゅ~ひゃく、はちじゅ~えん?!」
ヒロシは、わざとらしく目を丸くしながら、そう言った。しかし、価格に驚いたことも事実だった。
いつも300円の、のり弁当を買っているヒロシにとって、3倍以上の値がするステーキ弁当は、もはや弁当という概念を越え、ディナーであった。
ヒロシのお茶目な一面に初めて触れたマリコは、妙に嬉しそうな表情を見せながら言った。
「お客さん、肉体労働なんだもの、たまには、お肉を食べて、スタミナ付けたほうがいいよ!」
マリコは、そう言った後、後ろの調理場を振り返り、近くに誰もいない事を確かめると、背伸びをして顔をヒロシのほうに突き出し、小さな声で囁くように言った。
「特別に、500円にしといてあげる。。。その代わり、絶対に内緒だよ。。。」
そう言うマリコの円らな瞳が、ヒロシにはキラキラと輝いて見えた。そして、えくぼのある頬は、ほんのり赤く染まっていた。
「およそ半額?本当に、大丈夫なの?。。。キミ、バイトだろ?独断で決めていいの?」
ヒロシもマリコに顔を寄せ、小さな声で、そう尋ねると、マリコは、再び眉をつり上げ、口を尖らせながら囁いた。
「そういう質問をね、、、愚問って言うの。。。知ってた?」
またしても、そう言うマリコの眼差しは優しさを帯びていた。辛口の裏に潜むヒロシへの思慕の念が、鈍感なヒロシの心にも届いていた。。。
「ありがとう、、、じゃあ、お言葉に甘えて、ステーキ弁当、お願いします。。。」
ヒロシは今日、今までになくマリコの心を、ハッキリと感じることが出来たような気がした。自分を間接的に励まし、元気づけてくれているマリコを見ていると、男女間において、年齢の差は、あまり関係がないようにヒロシには思えたのだった。。。
「オーダーです!ステーキ弁当、一つお願いしま~す!」調理場に向かって、マリコの威勢の良い声が飛んだ。
ヒロシと再び目を合わせたマリコの瞳が、輝き始めた星空を映し出していた。。。弁当屋前の歩道は、枯れ葉が風に舞い上がり、どこか、年の瀬の寂しさを感じさせていた。。。
ステーキ弁当が出来上がるまでの間、二人の視線は、交わっては離れ、また交わっては離れた。。。そんな中で、ぽつり、マリコが呟くように言った。
「来年は、いい年になるといいね。。。」
「俺、こう見えても、結構いい歳なんだけど。。。」
ヒロシが真顔で、そう答えると静寂が店内を支配した。そして、マリコが口を開いた。
「おおお~~、寒い!」
ふたり、見つめ合い、自然と笑みがこぼれた。。。やがてヒロシは、久しぶりに声を出して笑い始めた。本当に、久しぶりの事だった。。。
マリコも、そんなヒロシにつられて、大きな声で笑い出した。
すると、焼きあがったステーキの香ばしい匂いが、二人の笑い声を包みこみ、同時に、二人の心さえも優しく繋いでゆくように漂っていた。。。
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