ショートストーリー218 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「今日は、ハンカチ持ってないから、泣くのは止めとくわ。。。」
踏み切りの手前、通り過ぎていく長い貨物列車を見つめながら、ナミは、そうつぶやいた。


「誕生日だっていうのにバカみたいね。。。こんなに悲しい気分にさせられるなんて。。。」
右手に持った鮮やかな花柄の傘が、ナミの心とは対照的に見えた。


歩き続けて、やがて石畳の狭い階段を上って行くと、二人で訪れたあの日と同じ風景が、眼下に広がっていた。。。。

携帯で、その景色を撮影した後、ベンチに一人座り込むナミ。。。

$丸次郎「ショートストーリー」

目の前に見える青空と広がる街並みは、まるで時間が止まったように見え、静かだった。


ナミは、なんとなく口笛を吹いてみた。なぜか自分が生まれる前の歌を吹くことが多いナミ。今日は坂本九の「上を向いて歩こう」を吹いた。


口笛の柔らかな音色が、木々の葉を通り抜けて、風と交わって消えていった。。。。


「朝まで降っていた冷たい雨が嘘みたい。。。」目を瞑って体中の力を抜くと、さっき、喧嘩別れした彼の顔が目に浮かんできた。。。。


「これで何度目だろう?あいつと喧嘩して、家を飛び出して来たのは。。。」
そう思ったら、なんだか自分が滑稽に思えてくるのだった。


二人の喧嘩は、いつも些細なことから始まって、やがて大喧嘩に発展するというお決まりのパターン。


「子供だって、もう少し学習するよね。。。いい加減、もう止めようって」
その時、すっかり乾いた花柄の傘が、ベンチから地面に転げ落ちた。。。


ナミは屈んで傘を拾い上げると、目の前で大きく傘を開いた。アイボリーの下地に青や水色、オレンジや黄色の花々が水彩で描かれたようにプリントされた傘。

わずかに透けてくる太陽の陽射しが、傘の花々を輝かせていた。。。。


ナミと彼の喧嘩別れは、一応その時は「別れ」るけれど、すぐに元の鞘に収まってしまう。いつも未遂で終わる二人の「別れ」。


「単純だなぁ~、二人とも。。。」そう言って傘を閉じると、ナミはベンチから立ち上がった。


上がって来た道と反対側にある下り専用の坂道を、ナミはポタポタと歩いて降りてゆく。


石積みの塀の上で、三毛猫がナミを見下ろしながら鳴いている。「ニャ~オ!」と、ナミも鳴き返す。。。


ゆっくりと流れる時間の中に、過ぎ去った日々の過ちが姿を現して、また風のように消えていく。


いつしか小さな十字路まで下りて来たナミ。。。。

「右に曲がれば彼の家。。。左に曲がれば私の家。。。真っ直ぐ進めば二人が初デートした海岸」


十字路の真ん中に立って、しばしの間どの方向に行こうか考えるナミ。


すると、右手に持っていた傘を正面に立てて、「神様、お願い!」と言って、傘の柄から手を放した。

傘は、まるでスローモーションのように、ゆっくりと右に倒れた。


「はぁ~っ。。。。そう出ましたか?こういうのを腐れ縁て言うのかな?」

ため息を一つついたナミは、しゃがんで傘を拾い上げながら、そう言った。でも表情には、少しだけ笑みが浮かんでいた。


十字路を右折して歩き出したナミの背中を、急にふいてきた気まぐれな風が後押しした。。。

喧嘩をしたのに、彼のところへ向かうナミの足取りは軽い。。。いつもそんな感じ。


「こんにちは!」


すれ違った見知らぬお婆さんに笑顔で挨拶をすると、ナミは一気に坂を駆け下りて行った。。。。








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