JR上越線『後閑駅』から2.5kmほど
歩道脇に3台ほどの駐車スペース有り。
本丸は深い空堀によって台地から切り離される構造で、崖端城の典型的な遺構あである。
沼田城主・沼田景久が西の備えとして築いたとされています。
豊臣秀吉による真田領と後北条領の裁定により、沼田城及び小川城は後北条氏に、名胡桃城は真田氏のものとなります。
小田原攻めにより後北条氏の滅亡後、小川城は真田領となります。
本郭
先端部分には笹曲輪と呼ばれる小さな曲輪がある。
ささ曲輪の土塁と石積み
2019.7.28(日) 登城
道を挟んで二の丸~三の丸
農地や宅地になっている。
2024.4.15 登城