一か月に渡り籠城を続け新政府軍と戦った会津でしたが、
明治元年9月22日、白旗をかかげ降伏しました。
ここ、大手門前の路上で降伏式が行われ、会津からは松平容保・喜徳父子が、新政府軍からは薩摩の桐野利秋が臨みました。
容保は「謝罪書」を提出。「官軍と戦った大罪は自分が負うもので、どんな刑を仰せ付けられても構いません」としました。
大手門近くには会津藩 筆頭家老『西郷頼母邸跡』
悲しい歴史があります。
3代将軍・徳川家光の異母弟である保科正之が会津藩主に就きます。
将軍に信頼された人物で、会津は「将軍家を守るべき存在である」という家訓を残しています。
しかしこの忠義心が、戊辰戦争で会津藩を苦しい立場へと追いやりました。
筆頭家老 西郷頼母の本性は保科です。(家紋も同じ、四角い九つの点)
信州高遠藩の保科正光(正之の養父)の一族で、将軍家光の異母弟として重用された、保科正之に付き従うのに、西郷姓に変えたと思われる。
『内藤邸跡』
周辺には西郷頼母邸など家老屋敷が軒を連ねた所で、
「白露庭」と呼ばれる庭園が残されています。
内藤家(工藤氏・武川家)は会津藩祖 保科正之が養子になる前の保科家の親戚筋で、武田家に仕えていたが没落した為、徳川家に仕えた保科家の重臣となり、家老職を歴任。
『宮泉銘醸』大手門から真っ直ぐ北
『寫樂(しゃらく)』
蔵元が廃業してしまった際に宮泉銘醸で引き継いだ銘酒で、
全国でも通用するようなお酒としてリニューアルさせました。
手に入れるのが難しい銘酒。(ここでも販売はされていません)
試飲もありましたが、これから歩くので自粛しました。
2月になって呑んでないんで、酒に執着もなかった。
七日町駅の方に向かうと、何度かお邪魔している
『末広酒造』
酒蔵見学をしたいのですが、今回も時間が合いませんでした。
昔の酒の販売窓口と酒蔵の清水
七日町駅のすぐ近く
『阿弥陀寺』戊辰戦争戦死者が埋葬されています。
『御三階櫓』
鶴ヶ城本丸内にあった建物です。
明治3年に阿弥陀寺にうつされました。
外観上は三階ですが、内部が四層になっており密議の場所として使用されたといわれています。
新撰組 三番隊隊長『斎藤 一 』の墓所
鳥羽伏見、甲州勝沼、流山、会津と転戦。
土方とは会津で別れ会津新撰組を率いて新政府軍と戦い、最後まで抵抗を続けるも降伏する。
降伏後は会津藩士として再興に尽くした。
警視庁に勤務。警視庁時代には西南戦争に参戦し活躍する。
大正4(1915)年に胃潰瘍で亡くなる。
数少ない新撰組幹部の生残りです。
『七日町駅』JR只見線
これから、赤べこの町『会津柳津』へ向かいます。
JR只見線は本数が少なく、9時・1時・4時にしかなく、時間調整が難しい。
13:08発~14:05会津柳津着 32km 590円
2024.3.13(火)





















