『浜崎城址』湯川村浜崎
県道326号線の南大橋で日橋川を渡った南側。
塩川駅から1kmほど
日橋川が蛇行して西側に曲がる部分によって削られた南側の台地縁部分を利用した城郭である。
東端の稲荷神社脇辺りには、深さ6m、幅12mほどの堀が見られる。
県道326号線の南大橋で日橋川を渡った南側に築かれている。
ちょうど南北を通る道路が本丸と二の丸を分断するような形になっている。
築城年代は定かではない。
観応3年(1352年)三浦若狭守(蘆名直盛と推測)が河沼郡の合川、浜崎城、蜷河庄政所楯、牛沢城などを攻めており、これが浜崎城の史料における初見である。
宝徳3年(1451年)蘆名盛信が没すると嗣子盛詮が幼小であったことから家督相続争いが発生し、猪苗代氏が浜崎館を攻め落としている。
『及川城址(笈川館)』湯川村笈川字舘
八幡神社の境内は複雑な地形があるが、あまり高低差はなく遺構かどうかは不明。
塩川駅から2.5km 笈川駅から1km
県道326号沿いの笈川小学校と八幡神社の辺りとされる。
校庭の端に土山があるが、説明はなく不明。
学校の南側の公園駐車場
南側は旧せせなぎ川が流れていた水掘跡
グランドは二の郭
会津蘆名氏の一族と思われる三浦弾正頼盛により築かれ、天正年間(1573-92年) 頼盛の孫 栗村下総守盛胤が館主だったとされます。
栗村盛胤は会津黒川城主 蘆名左京亮盛隆の被官でしたが、天正12(1558)年 船岡城主 松本太郎行輔が盛隆に叛旗を翻すと 盛胤はこれに加担して黒川城を武力占拠しています。
しかし盛胤と行輔は蘆名勢の反撃を受けて討死し、笈川館はこの際 廃城になったものと思われます。
2023.12.13(水) 登城















