西武鉄道の高麗(こま)駅から800m徒歩15分ほど
高麗川を挟んで『巾着田』の東側。
月曜日休館 無料
高麗駅の近くにある『高麗村石器時代住居跡』の土器
高句麗は危機的状況の中で外交使節団を大和朝廷へと派遣。
『日本書紀』には「二位玄武若光」の名が記されており、若光(じゃっこう)が使節団の一員として日本へと渡来した事が分かります。
668年、建国から約700年間 東アジアに強盛を誇った高句麗は滅亡し、若光は二度と故国の土を踏むことはなく、大和朝廷に官人として仕える若光の名が文献に表れるのが『続日本書紀』大宝3年(703)年3月「従五位下の高麗の若光に王の姓を賜う」とある。
ここから2.5kmほどの『聖天院』に王廟。
『高麗神社』は高麗王若光を主祭神として祀る社となる。
高麗の歴史が良く分かるモニターでした。
市内で昭和中期まで使われていた農具、民具、家具調度品
和菓子の木型
昭和中期の家電。使用中の扇風機も昭和中期の年代物の製品でした。
稲作・養蚕・御茶作り
御茶作り
漁撈
炭焼き
『あいあい橋』で高麗川を渡れば『巾着田』
2023.7.7(金)