江戸時代には東小保方村と呼ばれ、徳川家の旗本久永源兵衛重勝の領地でした。
久永氏は石見国の出身であり、埼玉や茨城にも領地が点在する禄高3200石の旗本であり、
久永氏は村の支配のためにこの地に陣屋を設けました。
陣屋は東西75メートル、南北120メートルの大きさで、濠や土居が構えられていました。
濠はその後拡幅されて池となってしまい、現在では南池の南端と西池の東端にわずかに当時の面影が残されているのみです。
南面には正門を有し、更に南へと通路が続いて細長い大手枡形となり、南端には木戸が設けられていたものと思われます。この形は陣屋特有のものであり、県内でも吉井や岩鼻の陣屋がこれと同じになっています。
南と西の池は「あずま水生植物公園」として菖蒲が植えられている。
明治維新後陣屋は廃され、一時期小保方小学校として使われるとともに、
大正二年には周辺の神社を合祀した大東神社がおかれ今日に至っているものです。
小泉稲荷神社のシンボルともいえる大鳥居周辺では、8.6ヘクタールの畑に10月上旬頃~10月下旬にかけて2000万本のコスモスが咲きます。
周辺は牧畜が盛んで、北海道並みに牧草ロールが散見できた。









